転居することになり、引っ越しの荷物まとめなどをしています。

 

細々とした物の整理は家内がしていますが、本棚に置いていた模型3点を出してきて、邪魔なので、オフハウスにでも、ただでもいいから引き取って欲しいと言ってきました。(捨てるとは言いませんでしたが)

この模型は、私が持っている株の株主優待で送られてきたもので、私にも特に模型のコレクション趣味はありません。

まあ、ただで捨てるのはもったいないと思ってとっていた物です。

 

ただ、不思議に思うのは、10×10×20cmくらいの箱3個で、何で目くじらを立てて処分したいというのだろうかということです。

 

ここで思い出すのは、有名なコピペ「鉄道模型を捨ててから夫の様子がおかしい」という20年ほど前の投稿です。

このタイトルで検索すればすぐ出て来ますが、夫の鉄道模型を常々邪魔に思っていて、何度話しても処分してくれないので、夫が留守の間に業者に売り払ってしまったというものです。

 

夫は、自分が悪かったと謝り、それから自分の物を次々捨てていって、今は衣装ケース2つ分の服だけしか私物がない状況になってしまったということで、奥さんはそのうち夫が居なくなってしまうのではないかと心配しているという話です。

 

この投稿にはレスポンスが多くついて、夫に同情的な意見が多かったように思います。

 

私には、夫の気持ちが良く分かります。私もかつてコイン収集を趣味にしていた時期があり、私の青春の一部でもありました。

人は何かに愛着を持つものです。それは人生の一部でもあります。

役に立たない物に執着するということは、それに関心がない者にとっては、理解しがたい点があります。

ただそれを認められるか、我慢できないか、というところに、個人差、性差があるように思います。

物に愛着を持つという傾向は男性に多いように思いますが、それを容認しないというのは女性の性向という気がします。「なんでも鑑定団」もそういう例が多いですね。

 

 

そして、コレクションを否定されることは、人生の一部を否定されることであり、愛着を持つこという行為自体が否定されたことと感じるでしょう。

だったら、もう何にも関心は持ちたくはないでしょう。持っても否定されるわけですから。

人間関係にも興味なくなっているでしょう。

鉄道模型を捨てられた夫は、周囲への関心を失った状態と言えるでしょう。

 

この夫婦がどうなったのかは、結末は分かっていないようです。

可能性としては、別居から離婚があるかなと思います。

助かる道は、この男性の母親が、「何時までも模型にこだわらず、仕事に頑張りなさい」と叱責することでしょうか。

影響力のある人が、新しい価値観を男性に植え付ける必要があるように思います。(何となく)この男性は、母親の言うことには従うような気がします。

 

志賀直哉の小説に、「清兵衛と瓢箪」というのがあります。これは、瓢箪に異常に愛情を示す少年の話なのですが、マニアの行動や心情が描かれていて、それが自分のコイン収集と同じで、非常に共感した思い出があります。

 

人の物への執着は、「何故」ということが他人にも本人も分からないため、かなり不思議なものです。

 

次回に、執着についてもうちょっと続けます。