放送中のテレ東のドラマ「95」では、1995年の高校生チーマーが描かれている。

この年は、阪神淡路大震災、オウムの地下鉄サリン事件が続いて起こり、世の中が不安定な時期であった。

ドラマの主人公(高橋海人)も、この不安定な状況で何となく不安を抱えているという設定である。

 

すでに30年近くたっているが、この年に私は茨城から東京に赴任したので、この時代の雰囲気は何となく覚えている。

 

時事

ドラマ中で彼が読んでいたのは、五島勉の「ノストラダムスの大予言」である。

この本は1973年の発行で、その当時大ヒットしたものの、既に20年以上たっていた。なので、1995年の社会不安下で予言(1999年の世界滅亡)を思い出した者もいただろうが、それほど予言が復権した訳ではなかった。

 

まず阪神淡路大震災であるが、朝テレビをつけたら神戸のビル火災の映像が流れ、地震が発生したことを知った。

関東はほとんど揺れなかったので、余り実感がわかなかったが、被害は相当大きいということが分かってきた。

こういった自然災害は、災害を受けた場所と受けなかった場所では、切実さが全然違う。

 

オウムの事件では、世間やマスコミは大騒ぎとなった。これは、宗教団体がテロ団体となったことや、麻原のキャラが特異だったことが背景にあり、被害者への同情よりも、犯罪集団への興味が高かったためである。

 

従って、どちらの災害、事件も、関東人にとっては当事者意識は薄かったように思う。

 

連日、オウムの報道は続いており、特に麻原が逮捕される5月までは、1日に1局あたり何時間も放送されていた。

サティアン、ああ言えば上祐、ポアやむなし、ショウコーショウコーの歌、ホーリーネーム、など色々な流行語や人物が現れた。その間にも、村井刺殺事件、警視庁長官狙撃事件など、観客を飽きさせないような関連事件が頻発したものである。

 

これらの大事件があったが、日常の生活はそのままである。青島幸男と横山ノックがそれぞれ、東京都知事、大阪府知事に当選した。

 

野球、テレビ

野球の野茂がMLBに挑戦した。私は、結構活躍するのではと思っていたが、スポーツマスコミは冷たい意見だったことを覚えている。結果は大活躍で、日本のスポーツマスコミの低レベルさを知った。(後年も、イチローの活躍を予見できなかった)

 

新しい職場に慣れる必要もあり、結構忙しくしており、余りテレビを見る機会がなかった。ただ、安達祐実の「家なき子」と、豊川悦司の「愛していると言ってくれ」、は見ていた。

 

なお、テレビアニメでは、私にとっての大傑作、「エヴァンゲリオン」が始まった。ただ、ブームになるのは、本放送が終わった1996年からであろう。12使徒とか、アダム、リリス、ATフィールドなど、説明されない単語の謎解きがブームになった。私も30半ばにして、エヴァオタクの仲間入りをして、30年後も尾を引いている訳である。

 

通信

また、このドラマでは、ポケベルが使われている。ただ当時、周りで使っている人を余り見たことがない。多分、営業の人や若者の間で使われていたのであろう。携帯電話の普及するまでの、短い命だったと言える。なお、ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」は1993年である。

 

携帯電話の普及は、1995年時ではまだまだだった。仕事で必要とか、彼女と頻繁に連絡したい、というような事情がある人が持つというようなイメージだった。

私が、初めて携帯を持ったのは、1998年のイタリア留学の時で、話し好きのイタリア人の間では結構普及していたようである。2000年頃には、日本でもかなりの普及率になっていた。

 

1995年頃の職場では、e-mailが普及し始めていた。この時代の通信方法の移り変わりは激しく、はっきりと覚えていない。

職場ではLANは敷設されていたように思うが、家庭ではまだネットケーブルはまだで、電話回線をモデムでつなぐ形式だったように思う。

 

私は以前から、ニフティサーブに入っていて、パソコン通信をしていた。パソコンに変換アダプターをつけて、電話のモジュラーを差し接続する。グループに入ってチャットするが、私はROM=読むだけだったが。

(受話器の音声を利用するカプラというのが、かつてあったことを覚えているだろうか)

 

これが、1990年代後半から、急速にインターネットに置き換わっていく。高速通信のインフラが進んできたことも大きい。

インターネット普及の必要条件は、皆が情報を出すことであるが、ケチって出さないのが普通ではと思っていた。が、これは間違いで、今の状況を見れば、人間は情報交換が本当に好きなのだと再認識したものである。ギブアンドテイクは、情報についても言える。

 

パソコン

1995年には、OSのWindows95が発売された。実は、3.1が既にあって、その次のバージョンである。

Windows3.1に触れたときは、よく堂々とAppleのGUIをパクったなと、思ったものである。操作性はAppleの方が優れており、Windowsは後発のGUI劣化バージョンといったところだった。

しかし、Macは高価だったのでwindowsが段々と優位になって行き、Macは一部のマニアだけに支持される機種となっていった。

私は、自分でMacのClassicIIとLCを購入したが、1995年以降はWindowsのノートパソコン(NECが多かった)を購入し、以降Macは使っていない。

 

振り返ってみれば、1995年は不安定な時期というよりも、デジタル社会へ入っていく変革期だったように思う。