ドラマの「不適切にもほどがある」は1986年が舞台となっているが、その年の出来事を振り返りながら私の記憶を記してみたい。

 

この年に私は大学院修士を終え、国の研究所に就職した。

入って直ぐに研修があり、代々木の研修センターで1週間、つくばで1週間、講義を受けたり見学に行ったりした。

 

この時期最も衝撃的だったのは、アイドルの岡田有希子さんの飛び降り自殺だった。

FOCUSの写真も衝撃的であったのと、原因に年上俳優との恋愛のもつれ?があったらしいとのことで、そちらもショックであった。

これから活躍を期待されたアイドルであり、後追い自殺も発生したので、社会的にも大きな出来事であった。

 

また、個人的なことであるが、一人暮らしのため様々な電気機器を購入した。

テレビは14型ブラウン管で、多分1万円台だったと思う。当然液晶TVは一般的でなく、カラー化して一般的になるのは1990年代後半だろう。

 

パソコンは高価であった。NECの98は発売されていたが、個人が給与で買うのは難しい値段だった。プリンターもそうで、リボンタイプが主流だった。ギガガガという音がするものであった。

パソコンは職場で使うモノで、ほとんどがワープロ(一太郎)用かゲーム用に使っていた。日本ファルコムのイースとか良くやっていて、そのソフトも誰かがコピーしたものであった。(プロテクトを破るソフトもあり、違法コピーが横行していた時代であった)

ハードディスクはまだ高価であり、一太郎はフロッピーに入っていて、一々フロッピーの漢字辞書を読んで変換していた。

 

一方で、CDプレーヤーは安くなっていて、ラジオやカセットテープと一体になったコンポが数万円くらいになっていた。レコードプレーヤー付きのコンポもあったように思う。

 

この時代は、レンタルビデオが流行始めた時期でもあった。1本1週間で500円以下だったように思うが、段々と安くなった。ビデオデッキの貸し出しがあり、コピーすることもできた。コピーキャンセラーという機械も売られていた。

こういった、ビデオ収集する人たちが、オタクと呼ばれるようになり、その後一般化する。宮崎勤が犯行を犯し逮捕されたのは1989年である。

 

この年のテレビ番組であるが、朝ドラの「はね駒」は見ていた。斉藤由貴は結構好きだったのである。

他のドラマは、仕事が忙しく全く見ていない。

アニメは、「めぞん一刻」は見ていたが、オープニングテーマは斉藤由貴であった。

クイズ番組の「世界・不思議発見」は、時々見ていた記憶がある。土曜の夜放送だったので、見る余裕があった。

 

映画では、「天空の城ラピュタ」が公開された。これはレンタルビデオで見たが、素晴らしい映画であった。宮崎作品の中では、「千と千尋の神隠し」とラピュタが私のベスト2である。

 

国際的には、チェルノブリ原発事故があったが、外国であるため遠い世界のように感じていた(25年後にあんな事になるとは誰も想像していなかった)。

 

ビートたけしによるフライデー襲撃事件は、結構大きな話題となった。

割とビートたけしを擁護する人たちもいて、写真週刊誌の凋落はここから始まった。

当時の写真誌は結構えげつない記事を書いていて、文春砲どころの話ではなかった。

 

その他、チャールズ皇太子、ダイアナ妃が来日した年でもあるが、全く記憶に残っていない。

 

ファッションには疎かったが、ワンレンボディコンはもうちょっと後のように思う。職場には、イケイケギャル(死語)は余りいなかったかなあ。

 

自分の事で精一杯の時あったので、慌ただしく過ぎていった一年だった。この年は、修論、引っ越し、新人研修、各種会合など、今思えば良く色々活動できたものである。

 

最後に、紅白歌合戦で締めよう。

なんと言っても、少年隊の「仮面舞踏会」の曲紹介を、進行役の加山雄三が「仮面ライダー」と言ってしまったことである。伝説級の言い間違いである。

この時代は半数くらいは演歌で、古びてきていた時代である。ロックやニューミュージック系は、紅白に出るのが恥ずかしいと思われていた時代で、紅白の内容が世の中の音楽の流れに合っていなかった。

今は、紅白に出ることがステイタスのように思われているが、1980年代は全然そんなことはなかった、と言っておこう。

 

さらば、私の青春時代。