今年の冬ドラマ「不適切にもほどがある」は、主人公らがタイムトラベルし、2024年と1986年のコンプライアンス状況の対比等を描こうとしている。50歳以上の人にとっては、38年前は覚えていることも多いと思うが、あれ、そうだったっけ、と疑問に思うこともあるだろう。

 

脚本の宮藤官九郎は当時高校生だったようなので、当時の雰囲気は知っているだろうが、思い出しながら、また資料を調べながら書いているのであろう。

 

1986年は私がちょうど就職した年なので印象深く、ある程度覚えている当時の雰囲気などを書いてみよう。

 

まず、主人公がタバコをバス内で吸うが、確かに公共の場でのタバコには結構寛容だった。ただ、バス内でそれほど吸っている人がいたかと言うと疑問で、我慢できないヘビースモーカーが吸う程度だったように思う。

国鉄(民営化は1987年)の車両の場合、4人ボックスシートの窓側の壁に吸い殻入れが設置されていた。ただ、新しい車両ではどうだったか、覚えていない。焼け焦げのあるシートがたまにあったように覚えている。

飛行機でも、肘掛けの前の部分に吸い殻入れがあった様に記憶している。

 

タバコを吸う人も割と多くいて、パチンコ屋に行くと、煙りモウモウで、服に匂いが染みついたものである。

タバコを吸うのは自己規制ができない人間、という見方は新しいものであり、当時の俳優などもタバコを吸う様子を写真撮影していたりした。

 

ドラマではHすることをチョメチョメと言っていたが、そんなに一般的であったように思わない。この言葉自身は山城新伍が司会をしていたアイアイゲームという番組が発信源(多分)である。これは、伏せ字のことで、必ずしもHを意味しなかったように思う。

むしろ、ニャンニャンの方が、Hの意味で使われていた。

これは、FOCUSの記事に出てきた、あるタレントのベッド写真で、ニャンニャンと記事に書かれたことが由来である(1983年)。

同タレントは、テレビの「欽どこ」の3人ユニット「わらべ」の一人で、ヒットした「メダカの兄妹」のソロフレーズがそのニャンニャンだった。

なお、そのタレントは「欽どこ」から消え、写真を持ち込んだ相手の少年は自殺してしまった。

 

1986年には、セクハラという言葉は一般的ではなかった。一般的になったのは、流行語にも選ばれた1989年からのようである。

私の職場にも、ヌード写真のカレンダーを貼っている部屋があったりした。女性のパートさんがいても平気で貼っていたので、それがセクハラという認識がなかったのである。

 

未来から来た親子が、先生のパワハラを糾弾しに学校に乗り込んでくるが、1980年代はまだ先生の力が強く、いわゆるモンスターペアレントという言葉はなかった。

先生のパワハラもあったが、それは高校のレベルに依るようである。まともな高校では、部活でも先生が暴力を振るうようなことは少なかったと思う。

いつの間にか保護者の力が強くなってきたが、その理由はよく分からない。

 

また、未来からの少年は、地上波のエロ番組がお気に入りであったが、確かに11PMは有名で、おっぱいなども平気で出していたように思う。テレビの倫理規定は、深夜番組には余り適用されていなかったのかも。

深夜番組だけでなく、芸能人水泳大会のおっぱいポロリも容認されていたようである。

ネットがない時代だったので、若者にとってエロ番組は貴重だったのである。

なお、家庭用ビデオの普及は1980年代であるが、エロビデオが普及していったのと同期している。

ドラマの方でも、そのところが今後描かれるかも知れない。

 

ドラマは始まったばかりなので、これからどんな時代ギャップが描かれるか期待したい。