昨年のニュースであるが、今年の秋頃に郵便料金が上がるらしい。

葉書が63円から85円、封書が84円から110円になるらしい。上がり幅としては結構大きい。

しかし、私自身が葉書を出すのは、ほぼ年賀状だけだったので、余り個人的には影響はない。大体の連絡はメールですます人がほとんどだろう。

 

私が覚えている郵便料金は、小学生の頃の葉書7円である。

調べてみると、7円の時代は昭和41年から47年までで、ほぼ私の小学生時代である。この頃、年賀状をやりとりしはじめたので、覚えているのであろう。

 

ほぼ10倍以上になるのであるが、他の物価と比べても同じ上昇程度のように思う。

国鉄の料金が、初乗り30円だった(子供料金は10円)が、今は190円(徳島内)のようである。

 

ローカルな話題であるが、徳島の大判焼き「あたりや」は、私が小学生の頃(1970年くらい)1個10円だった。

今は90円で約10倍になっている。ただ、2年ほど前に買ったときは80円だったので、最近の物価上昇で上がったのであろう。それでも、他の店よりはかなり安い。

ここの大判焼きはあんこが多く人気で、徳島で知らない人はモグリと言われるくらいである。

小学生の頃、同級生が何人か行って、何個食べられるか競争をしたと話していたのを覚えてる。あんこが多くて「むつごい」ので、余り食べられないのである。

 

1970年頃は、かけうどんも50円くらいだったように思う。お好み焼きも50円しなかった。

 

しかし、私が高校生になる1970年代半ばには大幅に物価が上がり、オイルショックの影響が大きかったと言われている。

たしか大判1個30円か40円になっていたように思う。

10円の時代からするとものすごい値上がり率で、今の物価上昇どころではなかった。

 

高校時代、学校の帰りに駅前の店ででかき氷を頼むと、2,300円して、小学生時代に駄菓子屋で10円(イチゴで20円)だったのを覚えているので、驚愕したことを覚えている。元は水なのに。

 

こういうインフレ時代を覚えているので、失われた20年時代のデフレは異常であったと思う。

私が大学生だった1980年代は、吉野家の牛丼350円だった。回転寿司は100円だった。

 

そこから40年経って、牛丼の値段は468円、回転寿司も余り変わっていない。

牛丼もそうであるが、マックのハンバーガーなども、値下げの時期があったので、全く異常な時代であった。それを歓迎していたことが、日本経済のマイナスになったのではないかと、今になって思う。

 

給与であるが、この1970年半ばころに物価上昇とともに大幅に上がっている。そのためサラリーマンには特に不満は出ず、逆に家が豊かになった実感が持てた時期であった。

大卒初任給を見てみると、

1970年  39,900円

1972年  52,700円

1974年  78,700円

1976年  94,300円

1978年  105,500円

1980年  114,500円

・・・

2000年  196,900円

バブル崩壊後は、20万円前後で30年くらい余り変化していない。

 

バブル時代は2,3割上がっただけで、1970年代前半の上昇に比べれば大したことない。ハブル時は、会社の金使いが派手だったので、個人レベルでは大したことはなかったのではなかろうか。

 

技術面で見ると、1970年代の電機製品は高かった。クーラー、テレビは学生が簡単に買える値段ではなかった。

それがバブルの頃には、比較的楽に買えるようになった。

この時期、日本が行ったのは、海外の安い労働力を使って海外生産し、低価格化を進める事だった。この背景には円高の影響がある。

発売当初十数万円したCDプレイヤーは、2,3年後には数万円以下になっていた。

 

日本の凋落は、物を安くすることに集中した結果ではないかと思う。それが多くの企業の方針で、安易ではあった。しかし、それが大成功した時代でもあった。

そこから改善は生まれても、フレームワークを変える独創は生まれにくい。「安い国、日本」になって、成功体験に浸った30年がようやく終焉したのではなかろうか。

 

安住の地がなくなった今、逆に才能を発揮する人材が多く出てくるのではと期待しているのである。知ること、作ることが好きな人材は、一杯いるだろうと思うから。

 

物価の話から飛躍したが、昔の記憶をたどりながら将来の日本を考えてみた。