私が大学に入学したのは1979年であるが、翌年から映画に興味を持ち、授業のない日や休日に渋谷や有楽町、銀座に出かけては、映画を漁るように見たものである。

 

 最初は、当時あった情報誌「シティロード」で各映画館の上映スケジュールを調べて、評価の高い封切り映画を見に行っていたが、古い映画にも興味を持つようになり、それらはいわゆる名画座で上映されていることを知り、作品を選んで出かけていったものである。

 

 古い名画のことは全く知らなかったので、キネマ旬報の過去のベストテンを調べて、評価の高い作品を探した。精通してくると、監督の名前で映画を見るようになった。

当時、映画監督は黒澤明くらいしか知らなかったが、小津安二郎や溝口健二など、世界的にも有名な監督がいることを知り、またフェリーニやビスコンティ等の外国の監督作品も選んで見るようになった。

 

 学生の頃に見た映画は、多分400本以上あるのでは無いかと思う。年間200本見た年もあった。ただ映画あさりをしていたのは大学の学部生の頃で、卒論以降は実験が忙しくてほとんど映画館に行く暇がなかった。

 

 さて、その中で私のベスト1は、「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)である。

当時に書いた私のレビュー(個人的なメモ)を紹介する。私が21歳の頃である。

 

劇場:有楽シネマ(昭和56年2月25日、4月12日)

監督:鈴木清順

出演者:原田芳雄、大谷直子、藤田敏八、大楠道代

 

 ドイツ語教授藤田敏八とその妻大楠道代、友人原田芳雄とその妻大谷直子、彼らの周りに起こる種々の現実とも夢ともつかない出来事が、鮮やかに端正にそして恐ろしく映し出させる。その出来事は全く言い尽くすことができないし、いったい語ることが出来るのか怪しい。主人公らの心情が、非現実な映像として表され、理解不能の事件が主人公らに受け入れられる。原田芳雄、大谷直子らが幽霊だったとしても何の不思議もない。全く独自の世界が描かれた映画であり、他の映画のように理解しやすい、即ち原因と結果の因果関係の見出されるような代物ではない。この映画には必然性が全くない。主人公らの行動は、各々の気違いじみた考えによって支配され、その考えは生と死の接点をさまよっている。藤田敏八を、死んだ原田芳雄の娘が死へと誘う結末は、恐怖さえ感じさせるのだ。蓄音機の画面から「終」の文字まで、対照的色彩の映像に魅了され時間を忘れていたが、その日一日中、最後の結末の恐怖に身震いし続けていたのだった。監督でもある藤田敏八の演技は、うまくはなかったが、その下手さが妙に映画に合っていた。それは映画にアクセントを付けている。とにかく、原因がつかめないだけに恐ろしい映画だった。

(以上、1981年記)

 

 「ツィゴイネルワイゼン」は、シネマプラセットという、映画専用の小屋を建てて上映する方式で、渋谷で1980年に公開された。大手の上映網に乗らない作品はなかなか劇場で公開することが難しい。そこでとられたのが、このような臨時映画館である。

 監督の鈴木清順は、日活の監督であったが、訳の分からない映画を撮る、という理由で解雇され、争議にもなったらしい。長い間、干されていたが、本格的な復帰作がこの作品である。

 

 1980年のキネマ旬報ベスト1に選ばれ、多くの評論家に絶賛されている。この高評価によって、劇場でも公開されるようになり、私は有楽シネマに見に行った。

 見た後は、かなりの衝撃を受け、その日はよく眠れなかったほどである。生と死の狭間にいるような感覚を引きずっていたのである。

 私はこの映画を2回見ており、さすがに2回目はそれほど衝撃ではなくなっていた。

 

多分、今「ツィゴイネルワイゼン」を見ても、それほど衝撃ではないだろうと思う。

それは、私の心が擦れてしまったからで、心の弾力性や受容性が低下したせいであろう。

それ故に、若いときに見たこの映画の衝撃を、思い出として記憶しておきたいのである。