カンフー映画の大爆発は、もちろんブルース・リーの「燃えよドラゴン」からである。

この映画は、日本公開は1973年で、私が中学2年の時である。

実はこの時、私は劇場で見ていない。友達と見に行こうと言っていたが、風邪を引いてすっぽかしてしまい、そのまま未見で公開が終わってしまった。

徳島では、OSグランドという映画館で上映されたが、今はもうない(ホテルになっているようである)。

 

後年、テレビで見たのであるが、見に行った兄が色々と実演して教えてくれていたので、その確認のような感じだった。

殺された姉の復讐に行くのであるが、武術大会に参加したり、鏡の部屋でラスボスと戦ったりする。

 

カンフーの戦いは、日本の殺陣と同じようにパターン化されているが、ブルース・リーの戦いの迫力は別格である。

また、アチョーという奇声もブルース・リーからである。

燃えよドラゴンのサントラが発売され、これも大ヒットになったが、音楽の中にアチョーなどの声が挿入されていた。

 

棍棒を鎖で繋げたヌンチャクも、この時に広く知られた。私の兄もヌンチャクを自作し、それで私も捌き方を練習したものである。

この時、学校に自作ヌンチャクを持ってくる奴も結構いたので、そのブームのほどがよく分かろう。

 

実は、ブルース・リーは、燃えよドラゴンの日本公開時には既に死亡しており、香港の映画プロデューサーのレイモンド・チョウが殺したとか言われたりしていた。実際は、痛み止めの薬などの影響による脳浮腫だったようである。

 

燃えよドラゴンはハリウッド・香港合作であるが、その前に香港で撮った「ドラゴン危機一髪」、「ドラゴン怒りの鉄拳」、「ドラゴンへの道」があり、既に香港でヒットしていた。

世界的にヒットになったのは、やはり燃えよドラゴンからであろう。アクション映画なので、どの映画も大してストーリーはない映画であるが、ブルース・リーの無駄肉の無い筋肉は、当時としても凄かったのである。

 

ブルース・リーの話が長くなってしまったが、カンフー映画ブームにより、似たような映画が多く作られた。たとえば、「片腕ドラゴン」は、片腕になった男がその腕を特殊処理して無敵の拳となる。女ドラゴンも、当然現れる。また、ドラゴンに対抗して、「怒れタイガー」というのもあって、これは劇場版で見たが、主人公は金的を蹴られて死んでしまうという情けない死に方をしている。

 

ジャッキーチェンは、カンフー映画の別なスターであるが、ストーリー性の重視、武闘以外のアクションの重視、コメディタッチということで、新しい流れを作ったと言えるだろう。

なお、彼の作品に「奇蹟/ミラクル」という映画がある。これは、フランク・キャプラの「一日だけの淑女」のリメイクである。

映画オタクならば、フランク・キャプラの作品は、要チェックであろう。

 

派生して、アメリカドラマの「燃えよカンフー」にも触れておこう。日本での放送は1976年からである。

この企画はブルース・リーであるが、主演はできず、米国人が演じている。少林寺で修行したハーフの男が、米国西部を放浪するというもので、時々少林寺での修行や、師匠からの教えが挿入される。

また、カンフーアクションは、かなりおとなしいものである。

 

高校生の時に、深夜番組で放送していた。昼間に、再放送をしていたようにも思う。

結構、その思想にはまって、「心は弓、力は矢」とか、「鏡に映ったものは実物か」とか、若者を引きつける問いかけがあった。

もう一度、見たい番組である。

 

オカルト映画とカンフー映画は、そのブームが私の青春時代だったので、ちょっと長く語りました。