私は、子供の頃から人付き合いが苦手であった。

社会人なので、人付き合いはせざるを得ないが、人付き合いが苦手なのは大人になっても変わらない。

 

 ところで、インターネットにはASD(自閉スペクトラム症)のチェックができるが、それによると私は自閉症と診断される。特に、以下の項目は良く当てはまっている。

・人と話している時に他の人達が何を感じているか理解するのは難しい。

・他の人達が自分に何を期待しているかが理解しづらい。

・友達を作る方法や社交的になる方法がわからない。

・ 話している時に表情、手や体の動きから考えていることを読み取るのは難しい。

・全体を見るよりも細部に注目しやすい性格である。

・相手が言ったことを言葉どおりに捉えてしまうので、相手が本当に言いたかったことがわからなくなるときが多い。

 

 すなわち、相手の意図や考えていることが読めないのである。なので、他人とコミュニケーションを取りづらい。

 昔を思い出してみると、私はクソ真面目と言われていた。これは、相手の言ったことを言葉通りに捉えてしまうためである。

 先生がある生徒がバカなことをしたときに、「賢いな」と皮肉を言ったが、これが皮肉というのを理解するには、何日もかかった。

 

 研究者になってから研究発表は数え切れないほど行ったが、質問の意図が分からずトンチンカンな回答をすることは頻繁であり、これは今でも治っていない。

 

 小学校の入学時に知能テストを行うが、その点数が悪く、障がい児と思われていたようである。一方で、計算能力はそこそこあり、自慢でもあったがこれはASDの特徴の一つでもあるようである。

 

 今さらASDと分かっても、ああそうだったかと合点がいくだけで、特に実利は無い。ASDは社会に適応できるかどうかが問題で、多分私のように普通の社会生活を送っている人は多いだろう。

 

 問題は、社会に自分を適応させるためにかなりの苦労をすることで、それによる自己否定感、ストレスは一般人よりもかなり高い。親や回りから、非社交的な欠陥人と言われることがつらいのは、ASDの人も同じである。

 

 研究者の中には、世間で通用しないような、あるいは迷惑をかけているに違いないと思われる人が、割といる。私はコミュ力が低いのに、これらの人よりも常識人だと思われていたと思う。ただし、本人が感じるストレスは、わがまま研究者よりも私の方がずっと高かっただろうと思う。

 

 私のように、社会に適応できるが、コミュ力に難を感じストレスを受ける発達障がいの人が、結構いるのではないかと思う。 

 そういった人たちが、劣等感を感じたり、ストレスを感じたりすることがない社会を、作って貰いたいと思っている。学校や職場は、ただのメンタル問題と捉えないで欲しい。