前回のつづき

 

S:僕の友人に戸口という人がいたんです。彼は今年理Ⅲへの合格と同時に自殺したのです。彼は、小学校の時から家庭教師をつけていたのです。彼の両親は高学歴を持っておらず平凡な社会的地位でした。しかし自分の息子を何とかして高い地位につけようと考え、それには学歴社会の折、社会の風潮にあわせるため徹底的なスパルタ勉強を強制してきたのでした。

 

 彼は、自分の能力の限界を超えた努力を強制させられたのです。普通の人なら中・高校生で自我が目ざめるころだったのですが、彼はその芽さえもつみとられていたのです。そのためでしょうか、彼は考えるという行為ができなかったのです。いつか私が彼にたずねました。「君は何のために勉強しているのか」

 彼はこう言いました。「はてしない宇宙真理の探究のためだ」と。もちろんこの言葉は彼が考え出したものではありません。彼には歴史用語と同じなのです。暗記していたのです、対応の仕方を。

 

 彼はロボットだったのです。しかし機械ではないために、彼はあわれでした。そして彼の両親の希望通り、彼は大学に合格しました。そして彼の両親の役目は終わりました。そして彼が自分で考えて行った行為は、自殺という行為でした。最初で最後の彼自身の行為でした。

 

 新聞は書きたてました。「若者よ、なぜ死を急ぐ」と。しかし彼はこう思っているに違いありますまい。「なぜ私が命を持っていたと言えるだろうか。命とは生まれたときに与えられるものではないんだ」と。

 

 

T:君は何のために勉強しているのだ。

S:親や学校など諸々のためだと思います。

T:勉強とは自分のためにするものなんだ。

S:将来、進学適性検査をしたら、すべての進学生徒はそう答えるでしょう。日本とは、何でも統一したがる傾向があるようですからね。個性なんてものは、ほとんど無視されてる。犬は何と鳴くか、ワンワン。猫はニャーオ。誰が決めたのか知らないけれど、実際聞いてみると違っているはずなんです。みんなの頭の中には、ワンワンという字があるからそう聞こえるだけなんです。もともと音を文字に変えることは、不可能じゃないのかな。音は千差万別だからね。文字はなくてはならないものだが、スーパーマンではない。限界というものがあるのだ。かなり脇道にはいってしまいましたが、本当に自分のために勉強している人が何人いるでしょうね。別に、親のため学校のために勉強している人がいたってかまわないのじゃないかな。むしろこの世の中じゃ、いるほうが当たり前なのでしょうね。

 面接ではT先生のように聞かれたら、自分のためと言うべきなんでしょうが、そう言わなくて落ちたのなら面接試験官が悪い。現在、おそらく何万も大学教授がいるだろうが、彼ら全部が自分のために勉強したのだろうか。自分の精神の増進のために勉強したのだろうか。

 大学は意欲のある生徒が欲しいそうだ。大学の何が欲しがるのか。大学長か教授か。大学の名前か。口先では何とでも言える。これ以上、正直者が損をする時代を続かせてほしくない。口先だけで人間を判断して欲しくない。

 

まだ続く