私は徳島人なので、コオロギベンチャーのグリラスに注目している。その擁護をしておきたい。

 

 急にコオロギ食を批判する人やマスコミが出てきた。多くの批判は議論するに値しない。

 まず、破棄している牛乳を何とかするのが先、との「ひろゆき氏」らが述べている意見であるが、これは議論のすり替えである。牛乳を廃棄しているというのはもったいないが、それは日本人が飲まないのと、農業政策の失敗であり、また外交上の問題でもある。

 

 コオロギに注ぎ込む金を畜産に、というのも的外れである。コオロギの飼育にどれほどの補助金と労力が注がれているのだろうか。おそらく畜産に注がれる政策金や労力の0.1%もないだろう。R5年度の畜産・酪農経営安定政策だけでも3000億円使われ、その他にも多くの名目の予算が計上されている。

 

 これほど当たり前のことに気づかないとは、ただの感情論が論理や事実を踏みつける例と言えるだろう。

 また、人が食べたことがないものは食べるべきではない、という人もいるが、ナマコを食べた人の勇気をどう感じているのだろうか。ヨーロッパでは、コオロギを食べるらしいのであるが。

 

 大体、新しい食品として販売されているものに、安全性試験が行われていないわけがない。コオロギについては、甲殻類アレルギーが指摘されているのも、試験が行われて分かったからである。このようなことは、検索すればすぐに出てくる。

 いわゆるコメンテーターとして出てくる識者も、この程度とは情けないものである。

食べたくないので、食べませんというのなら分かるが、屁理屈をつけて批判しているだけである。

 

 ところで、私は一回、クッキーになったものを食べたことがある。粉末になったものが練り込まれただけなので、コオロギが入っているという感覚は無く、別に抵抗もなかった。徳島のファミマに売っているらしいのであるが、話題作りにはいいのかも知れない。

 

 今のところ、コオロギが牛肉にとって代わるということはないだろう。問題点は、コストだろうと思う。現在、パウダー1kgが1万円くらいするらしい。これは、高級牛肉並みの価格である。高タンパクとはいえ、一桁価格を落とさないと大量販売できないだろう。

 コオロギは、タンパク重量あたりのエサ、生育期間、温室効果ガス排出量が小さいので、エコとは言えるだろう。ただし、鶏肉はコオロギほどではないが、牛肉と比べるとずっとエコである。しかも安い。

 

 それと、無視されていることは、生命を食べることの罪悪感である。一般に、牛や鶏がと殺されているところを見ることは少ない。おそらく自分で殺して肉を食べるというのなら、その生命の摂理も感じることになるだろう。

 我々は牛1頭殺すのと、鶏200羽を殺すのと、コオロギ50万匹を殺すのに、どれだけの抵抗の違いがあるだろうか。かなり難しい話で、人によっても異なっているだろう。

 

 食の問題には、習慣による好き嫌いが当然ある。その他にも、経済の問題と生命倫理の問題がある。

 コメンテーターらが発している根拠のない感情論は、解決に何の道筋も示さない。

 それって、あなたの感想ですよね。