55年経っても、時々思い出す自慢話がある。

小学2年生の時、算数の授業で、数個の数字の足し算があった。先生が生徒に答えを聞いたのであるが、何人かが間違った答えを堂々と言っていたが、私が42と正解をつぶやいたのを先生が聞き逃さず、正解!とほめてくれた。

こんな細やかな自慢話を何十年も覚えているのであるから、言葉というのは恐ろしい。

 

私が優等生と思われるようになったのは、小学4,5年くらいだったと思う。親によると、小学校の入学時の知能テストでスコアが悪く、障がいがあると思われてそうである。

通知表で4が入って担任が驚いた、という話を何遍も親から聞かされたものである。きっと、親も自慢だったのだろう。

 

小学生の時、親から勉強しろと言われたことはほとんどない。徳島の田舎の学校なので、お受験などなく、余分に勉強する必要などなかった時代である。

だけど、算数の問題ができないと悔しくて泣いたことを思い出す。子供でもプライドは高かったのである。

 

で、怒られたことを忘れてしまったかというと、そんなことはない。学校の備品を半分壊してしまったことがあり、それは同級生とふざけていた時の事だったので、前に立たされて叱責された。

優等生の私としては痛恨の失敗であり、若いときはしばしば思い出して後悔したものである。が、このような思い出は、経験を積むに従って、割とどうでもいい思い出に分類されるようになる。

 

ほめて育てると言うほどでなくても、子供は些細な褒め言葉をずっと覚えていて、それを励みに生きることがある。

そのところを、小学校の先生は覚えておいて欲しいと思う。

 

私は幸運なことに、生徒をひどく怒ったりけなしたりする先生に当たったことはない。

ただ、大人になると、ほめられても子供の時のようには響かない。

 

一方、怒ってけなす上司は掃いて捨てるほどいることを知った。この場合は、憎しみがつのるだけと言っておこう。

 

子供はほめて伸ばせ。

そして見守ろう。