総裁選に続いて衆議院選挙が始まった。これに伴い、BSフジのプライムニュースが政治関連ばかしになってつまらなくなった。外国(特に中韓)との外交に関する討議を楽しみにしていたのであるが、日本のつまらない政治家が出てきてつまらない話をするだけになってしまった。

 

 ところで、小中学校でのクラス委員はどう決めていただろうか。

 

 私の小学校の頃は、選挙ではなく担任の先生が学期ごとに決めていたように覚えている。昔だったので級長と言っていたが、他に副級長、書記も選ばれていた。クラス委員は、紐で作った飾りを胸に付ける。

 概ね、成績が良い子供がクラス委員に選ばれていた。なので、クラス委員に選ばれ、飾りを胸に付けたときは、やや誇らしい気分になったものである。クラス委員と言っても、先生と生徒の連絡係のようなもので、大した仕事はなかったように思う。

 

 中学生の頃は、投票で選んでいたように思う。生徒による自由投票であるが、選ばれるのは成績の良い生徒が多かったように思う。成績が張り出されるわけではないが、成績の良い生徒に変動があることは少なく、誰が賢いかは概ね公知であった。

 

 クラス委員は立候補できたはずであるが、自分から進んでやりたいという人間を見たことがない。私の地元では、ふざけた面白いことをする人間を「ちょけ」と呼んでいたが、ちょけでも、「僕が立候補しまーす」、ということはなかった。

 これは、クラス委員に特にメリットがなく、多くの生徒から、賢い人間がつく役職と思われていたからである。

 

 これが生徒会長となると違ってくる。中学、高校の時は生徒会長選挙があり、これは立候補制になっていた。しかし、中学の時は、1,2年の各クラスから強制的に候補を出すので、目を付けられた運の悪い生徒が選ばれることがあった。

 候補者の半数以上は、いやいやクラス代表に選ばれ立候補した生徒である。これは、以前書いたことがあるが、私もいやいや選ばれて立候補したことがあるので、状況はよく分かっている。クラス代表に仕立て上げられるのは、必ずしも成績と連動していない。

 なお、2,3人は本気の候補者がいて、その中から学内で知名度のある人が選ばれることが多かった。

 

 高校の時は、完全な(クラスに関係ない)立候補制だった。生徒会長は、何かの儀式で生徒代表で挨拶したりするような、目立ちはするが余り実利がなく大変な役職だったので、候補者はなかなか現れないのが実情だった。

 選挙活動も余りなかったように思うし、生徒数が多くて誰が生徒会をやっているのか知らなかった。まあ、余り関心がなかった。

 

 その中でも、一人、たすきを掛けて、校舎の前で演説をする候補者を見たことがある。辻説法をするような候補者は見たことがないので、こんな奴もいるのかとびっくりしたことを覚えている。まあ、ふざけの気分もあってやっているのだろうと思っていたが、他に候補者がおらず信任投票となった。

 結果は不信任で落ちたようである。やはり、おかしい奴と見抜かれていたのだろう。

 

 日本の選挙の問題点は、議員という職業自体が尊敬されていないせいではなかろうか。なので、変わり者の胡散臭い人間が立候補する。あるいは、世襲的に地盤を受け継ぐ。

 

 末は博士か大臣かと言われ、かつては尊敬されていた職業だったのだろう。この変化は、マスコミによる議員たたきがあり、また世襲議員の跋扈がある。職業が能力によらず世襲できるのなら、その職業が尊敬されるわけもない。国民から見透かされているわけである。

 

 議員という職業の重要性を考えたら、議員の給与はもっと高くてもいいと思う。ただし、70歳以上は強制引退してもらう。世襲議員は、出たければ違う地盤から立候補する。

 供託金は引き下げ、誰でも立候補できるようにする。多様性のある候補者が出た方が面白いし、それが世の中のバランスである。志あって能力もある人が当選できる環境作りをする。

 そうすれば、議員という職業にも魅力が出てくるのではないか。

 

 韓国の大統領は、退任するとまず逮捕される。それなのに、競ってなろうとする。

菅元首相は、トップに立つのは向いてなさそうなのに、総理になってしまった。

 

 権力欲というのは、合理的に説明できないところがある。