先週の週刊文春のグラビアは、エヴァンゲリオン特集だった。文春にアニメ特集が掲載されるとは、胸熱である。しかも、かつてオタクを熱狂させたエヴァンゲリオンである。エヴァンゲリオンオタクが編集の上層部になったためだろうか。

 

  エヴァンゲリオンの最初の放送は1995年だったが、私が実際に見たのは、映画上映の宣伝として深夜に一挙放送された時である。謎にあふれたアニメとして当時かなり評判になっていたので、どんなもんかと見たのが始まりであるが、結構はまってしまった。もちろん映画は見に行った。1997年春の作品は中途半端なところで終わったが、本当の完結編の「まごころを、君に」は夏に公開された。こちらの方は、作品のビデオを購入して研究した。

 

 本アニメには、説明もなしに色々な用語が出てきて、ATフィールド、使徒、リリス、ロンギヌスの槍、人類補完計画などで、これらはそのうち作品中で説明されるのかと思ったらそうではなく、謎のままに残ったのも多い。当時は解説書も出ていて、私もなんだったかアニメ雑誌を購入して勉強した。これらと、映画の「まごころを、君に」から、何となく作品の本題が分かったような気になったものでる。

 

 個々の存在になった人類が、生命の根源の一なるものに戻っていくというのが人類補完計画で、個々を形成する境界すなわちATフィールドをエヴァンゲリオンの儀式によって弱めていく。心も体も一緒になれば気持ちいい、相手が分からないというのは気持ち悪いことである。自他の一体化という思想は新興宗教にありそうである。

 

 人類補完計画には、死海文書も出てくる。戦後、死海のそばのクムラン洞窟で多量の文書が発見され、旧約聖書の写本ということが分かっている。クムラン洞窟に住んでいたのはユダヤ教の一派と言われているが、旧約聖書などの成り立ちなどを示す重要な史料として知られている。エヴァで興味を持ったので、死海文書の解説本を買って読んだことを覚えている。もちろん、人類補完計画が書かれているわけではないが、死海文書という名前には、秘密っぽい響きがある。新約聖書の中には、ヨハネの黙示録という、預言を記したと言われるものも存在し(預言ではないという説もある)、異教徒である日本人には、キリスト教は何となく神秘的な存在なのである。

 

 エヴァンゲリオンをけなす人も結構多いが、独特の生命観のもと、現実世界の葛藤、人間の愛憎という要素を詰め込んで描いており、当時としては類がないアニメだったと私は考えている。生命を描くという点では、最近深夜で再放送していた「蒼穹のファフナー」も同じ系列かと思う。こちらも結構分かりにくい生命観である。

 

 ところで、延期にはなったが、新劇場版の完結編が上映される予定である。前作が2012年公開だったので、9年ぶりとなる。良くこれだけ待たせるもので、さらに延期である。延期については、いつものことと想定していたファンは多かったと思うが。

 

 今までの新劇場版は3週にわたってTVで放映されたが、新ストーリーのところはかなり忘れていた。復習して、映画公開に臨みたいと思う。どんな人たちが見に来ているか気になるところで、中年のオタクばかしだったら笑えるかも知れない。こちらは還暦のオタクであるが。