年配の人は、何かと自慢したがる。病院へ行くと自分の病気自慢、同窓会に行くと子供自慢、そして、貧乏だった人は、昔の貧乏自慢である。これは、逆境に耐えてきた俺は偉い、というアピールであるが、年をとるとどうしても言いたくなるものである。

 

 ということで、貧乏自慢させていただく。

・昔は、甘い物に飢えていた。ケーキは高すぎて論外である。一個10円の大判焼き、駄菓子のひきもん(くじのこと)やチロルチョコなど、一個10円のものがせいぜいである。チロルチョコは今の3倍の大きさで、中は飴であった。

 

・50年前、お好み焼きも10円だった。具は小麦粉とキャベツと天かすだけである。かき氷も10円で、イチゴは20円だった。今の値段はインフレである。

 

・家ではブドウ(デラウェア)を少し作っていた。全体が茶色く色づくのを待たず、緑から薄茶色に変化した粒だけを採って食べた。

 

・柿の木もたくさん植わっていた。一口かじって、まだ食べ頃の甘さになっていないのは、かじりかけで2,3日置いておいた。兄弟に先に食べられないためである。

 

・兄弟3人で、一瓶のコーヒー牛乳を分けて飲んでいた。決まりより多く飲んだ兄弟を本気で非難したりした。そういや、フルーツ牛乳というのもあったなあ。

 

・缶入りの肝油(粒状)が学校で販売され、一日一粒と言われていたのに、何個も食べてしまう。肝油は甘かったのである。

 

・風邪薬で糖衣錠という、粒の周りを甘くしたのがあった。甘いとこだけなめてしまったことがある。

 

・サンリツパンというお得な菓子パンがあった。腹を膨らませてくれてしかも安かった。メーカはカニパンを出しているところである。

 

・銀玉鉄砲を買ったのがうれしくて、夜中に隣の家の窓を狙って打ったことがある。さすがに苦情が来て、なんでこんな迷惑なことをしたんだろうと自分でも不思議だった。

 

・よく食べたおかずに、魚肉ハム(ベビーハムという商品名)や魚肉ハンバーグ(商品名忘れた)がある。マクド(TVCMで存在は知っていた)のハンバーグと同じモノと思い込んでいた。味が濃くて、ご飯が進んだものである。

 

 なお、昭和40年代では、近所の家はまだ貧乏なところが多かった。

ホールケーキをまるごと1人で食べたかった。今はそれができるが、健康に悪そうなのでできてはいない。