さて、個人的な回想録です。

 

国立にあった徳島県の県人寮に一年間住んでいましたが、1980年4月から永福町に移りました。

お年寄りの姉妹が住んでいた家で、アパートではなくまさに下宿です。私の他に4人の下宿人がおり、私は2階の部屋に住んでいました。

なお、十数年後に学会がこの近くの大学で行われたときに、再訪しましたが、すでにアパートに変わっていました。

 

1980年では、自身には余りイベントはなかったように思います。また、情報源はラジオだけでした。

思い出せるイベントとしては、妹が修学旅行に来て東京案内をしたことがありました。当時タケノコ族がはやっていた頃で、原宿に行きたいというので、妹グループを連れて行きました。原宿は私には全く無関係な場所ですが、人が多いだけで何が面白いのか全く分かりませんでした。

 

下宿の割と近くに、大宮八幡宮と和田堀公園がありましたが、GWの頃はサツキ(と思う)がきれいだったことを思い出します。

 

また、渋谷に近くなったことから、時々映画館に行くようにもなりました。特に渋谷パンテオンという大劇場で見たアラビアのロレンスは、大スクリーンが映える大作でした。さすが、東京はスケールが大きいと思ったものです。なお、この映画は1962年の作品です。

 

この頃よく読んだ本は、太宰治です。一番好きなのは、処女出版となる晩年です。お伽草紙も良かったです。この年に、野原一夫の回想太宰治という本が出て、太宰治の実像が詳しく書かれていました。三島由紀夫と太宰治の会話、山崎富栄との心中などにも触れられています。

最近、井伏鱒二の太宰治(中公文庫)を読みましたが、結構太宰治の生活を赤裸々に書いています。井伏鱒二は太宰の師匠でもありますが、私生活をここまで書かれたら結構恥ずかしいですね。

太宰治は、生活能力のない人間だったようですが、奥さんだった美知子氏はどんな人だったのかと思うことがあります。太宰治の伝記には余り書かれることはありませんが、ダメ夫とその死後に子供を支えた強く、偉い人だろうと思っています。

 

この下宿も1年で出て、1981年には茗荷谷のアパートに移りました。