クリスマスの季節となりましたが、今の若い人はどういうイメージを持っているのだろうか。

 イベントでは、恋人とデートする、家族で過ごす、プレゼントを渡す、というイメージが多いだろうか。モノとしてのイメージは、クリスマスツリー、デコレーションケーキ、靴に入ったお菓子、サンタクロース、といったところだろう。

 

 私は、ヨーロッパに留学していたので、カトリックの国でのクリスマスを経験している。やはり、人々は12月になるとクリスマス気分となり、ややウキウキしてくる。町中に、イエスが生まれる場面のモニュメント(大型の箱庭のようなもの)が飾られたり、店舗などの電飾が始まる。

 

 クリスマスで重視されるのは、外へ出ていた家族が家に集まり、お互いを祝福することである。その際にはプレゼントを交換して喜びを分かち合う。この点では、日本の正月に似ている(お年玉という形ですが)。原則家族で過ごす日であるので、外でパーティをして大騒ぎをするということはない。(地域によって違いはあるとは思う)

 

 研究室のラボでもクリスマスの集会があったが、簡単なお菓子とワインでクリスマスを祝い、おしゃべりをして終了する。また、ラボで私のホストだった人が、古い町に案内してくれたり、昼食に呼んでくれたりした。クリスマスは、24日だけでなく、数日は色々と交流して過ごす期間で、この点も日本の正月に似ている。クリスマス休暇は結構長いのである。

 

 日本のクリスマスが大衆化したのは、高度成長期の頃だったのではないか。記録された映像で知るだけであるが、サラリーマンが三角帽子をかぶってクラッカーを鳴らして宴会をするイベントの一種にも変容していた。それは別として、1970年代のクリスマスは、子供たちにとって楽しいイベントになっていた。

 

 学校では、給食にケーキが添えられた。このケーキはものすごく「むつごい」(徳島弁でどぎつい味のこと)味であった。それは、生クリームではなく、バタークリームを使っているからであった。

 地区の子供会では、クリスマスパーティが行われた。結構シュールであるが、お寺でそのパーティが行われた。人が集まれる場所がそこしかないからであったが。近所の主婦がカレーを作ってくれて、子供たちが歌を歌ったりした。

 

 自宅では、クリスマスはケーキが食べられる日として覚えている。当時、ケーキを食べられる日は、誕生日とクリスマスだけであった。大体、ケーキを売っているような店は、鳴門市内に行かないとなかった。

 もみの木にデコレーションしてクリスマスツリーにするが、我が家にもそういった装飾品があった。一度、兄と山に行って手頃な木を切ってきて、家でツリーとしたことがある。モミではなく杉だったと思う。テレビでもクリスマスの話をニュースで流したりしていたので、何となくお祝いしたいような気になったのだろう。

 

 昔の我が家はクリスマスプレゼントとは無縁で、当然サンタクロースが実在するなどと考えたことはなかった。最近は、夜中に親がプレゼントを子供の枕元に置いて、サンタクロースが持ってきたといって信じさせることが多いようである。私が親になったときも、実際にプレゼントを買って置いたが、子供はサンタの実在を信じていたのかなあ、と疑問に思うこともある。

 

 クリスマスにはケーキを買って食べたが、それはホールのデコレーションケーキであった。1日で食べるともったいないので、2日に分けて食べたような記憶がある。もちろんバターケーキで、サンタのロウソクが乗っていたりした。自分が家族を持ってからは、デコレーションではなくショートケーキ人数分である。色々と凝ったケーキがあり、今のいい店のケーキは本当に旨い。なお、留学していたヨーロッパでは、日本のようなケーキはなく、パネットーネ(イタリア)、シュトーレン(ドイツ)というパウンドケーキのような種類を食べる。ケーキはあっても、小さいモノが多い。

 

 日本人のクリスマスは、宗教的基盤がなく、楽しむ日という感覚が強いが、カトリックの国では生活の基盤となっている。コロナによりヨーロッパは未曾有の災難となっているが、今年のクリスマスはどうなるのであろうか。