このブログは、個人的な備忘録としている。

 

 私の大学生時代、月5万円の仕送りで生活していた。最初の1年間は県人寮(賄い付き)に住んでおり、寮費と食事で2万円だった(もっと安く1万2千円か1万5千円だったかもしれないが曖昧である)。その他の用途は、交通費で数千円、昼の食費と日曜の食費1万円、書籍数千円、銭湯他雑費数千円といったところであろう。

 また恥ずかしい話であるが、セールスで百科事典を買わされ、その支払いも月数千円あった。この時言葉巧みに私をだましたのは渡辺と言う名前で、もう死んでいるであろうが、もう2,3回死んでほしい。

 また、飲酒や喫煙はしなかったので、5万円あれば十分生活できた。

 

 2年目は、大学の近くに下宿したが、そのときの家賃は1万4千円くらいだった(と思う)。四畳半一間でトイレは共同、小さい共通の流しがあった。

 昼は学食、夜は外食が多かったが、食費は月2万円くらいだったと思う。電気ポットで湯を沸かしてラーメンを作ったり、レトルトカレーを電気ポットで温め、炊飯器で炊いたご飯にかけて食べたりした。炊飯器は3~4千円くらいだったが、長持ちして、結婚するまでの十数年間働てくれた。

 

 下宿してから買った最も高い物品はラジカセで、1万円台だったと思う。また、その他、部屋にエアコンは当然無かったので、扇風機、コタツを買った。下宿するに当たって購入した家具は、カラーボックス、本棚、ボックス式のハンガーラックだった。

 なお、大学2年の頃は、テレビも冷蔵庫もなかった。

 

 このように、少ない仕送りで質素な生活をしており、バイトなどしていなかったが、それほどお金に困るということはなかった。

 

 概ね健全な生活のようであるが、実はパチンコに結構行っていたことを白状しなければならない。寮があった国立市は文教都市でパチンコ屋がなく、国分寺や吉祥寺に行っていた。2年生以降は、大学の近くやより都心のパチンコ屋に行っていた。

 始めたときは、すでに電動ハンドルがほとんどの時代だったが、一部手ではじくタイプの機種も残っていた。

 

  大学1年の時に、一度だけバイトをしたことがある。学生課の紹介であるが、企業イメージアンケートというものであった。これは、某新聞社の委託で調査会社が行うもので、各家庭を戸別訪問し、調査用紙に記入してもらうというものであった。

 2週間くらいの間に2カ所で40軒くらいの家を訪ね、アンケートの依頼をする。訪問先は、調査会社が予め住民票で住所、氏名を調べ、リストアップされていた。(今だと個人情報で市役所はださないはず)

 歩合制で、一件4,500円だったと思うが、昼間は留守の家が多いので、何遍も通ったりして、労力の割に安かった。回収率は8割程度だったと思うが、2万円くらい貰えただろうか。

 このアンケート調査では、色々学ぶことが多く、後で考えると大変勉強になった。

・都会では、家に人がいるときでも鍵をかけている。

・詐欺ではないかと警戒している人も結構おり、全く拒否する人もいた。

・一方で、割と親切に対応してくれる主婦の方もいた。本当にありがたかった。

・人見知りの自分が、全く知らない人に頼み事をするとは、今思うとびっくりである。何で、こんなアルバイトをしようと思ったのであろうか。

 私が学生時代にしたアルバイトは、これと、年賀状の仕分けだけである。

 

 大学ではサークルにも入らず、友達もおらず、1人に馴れていた。友達がいれば青春を過ごすのに良かったのかも知れないが、孤独も私の人生の一部である。特に悔いはない。