かつて、大晦日の歌謡曲の祭典で、紅白歌合戦に匹敵する人気番組だったのは、レコード大賞である。そう、今は視聴率もちょびちょびである「輝く!日本レコード大賞」は、輝いていた時期もあったのである。

 

 1970年代のレコード大賞は、私も番組で見ていて、予め候補曲が数曲決まっていて、その中から選ばれる。選ばれる瞬間は緊張感があり、選ばれた歌手(女性の場合)は例外なく泣いていたものである。この年代は、選ばれて不思議のない曲が毎年複数あり、激戦と言っていい時代だった。

 

 レコード大賞が凋落していったのは、テレビにでないニューミュージック系の曲がヒットし、そういう人が賞を辞退するため、段々と権威が落ちていったためである。余り売れていない曲が受賞すれば、それはしらけるであろう。かと言って、番組に出てくれないのでは、受賞させるわけにいかない。

 また、こういった受賞につきものの、裏工作も噂にはなっており、明らかにヒットしていない曲が選ばれることもあったため、レコード会社の力関係とも言われたものである。

 

 ついでに言うと、日本歌謡大賞という番組もあったが、明らかに二番煎じであり、1993年に終了した。それでも、全盛期には視聴率も高く、レコード大賞よりも一ヶ月以上早く発表されるので、後のW受賞になるかという話題もあったので、それなりに権威のある賞になっていた。

 

以下、レコード大賞と歌謡大賞を示す。

 

        レコード大賞              歌謡大賞

1970年   今日でお別れ(菅原洋一)      圭子の夢は夜ひらく(藤圭子)

1971年   また逢う日まで(尾崎紀世彦)    また逢う日まで(尾崎紀世彦)

1972年   喝采(ちあきなおみ)          瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)

1973年   夜空(五木ひろし)           危険なふたり(沢田研二)

1974年   襟裳岬(森進一)            襟裳岬(森進一)

1975年   シクラメンのかほり(布施明)     シクラメンのかほり(布施明)

1976年   北の宿から(都はるみ)        北の宿から(都はるみ)

1977年   勝手にしやがれ(沢田研二)     勝手にしやがれ(沢田研二)

1978年   UFO(ピンクレディー)         サウスポー(ピンクレディー)

1979年   魅せられて(ジュディ・オング)    YOUNG MAN(西城秀樹)

1980年   雨の慕情(八代亜紀)         雨の慕情(八代亜紀)

 

ついでに、同年のヒット曲(レコード売上枚数1位)を示すので、大賞曲と比較して欲しい。

 

レコード売上枚数 1位 (レコード大賞曲売上)

1970年 黒猫のタンゴ 141.5万枚    (今日でお別れ 60.6万枚)

1971年 わたしの城下町 110.3万枚  (また逢う日まで 92.8万枚)

1972年 女のみち 138.3万枚      (喝采 1973年に62.7万枚)

1973年 女のみち 181.2万枚      (夜空 1974年に38.1万枚)

1974年 なみだの操 193.6万枚     (襟裳岬 30.8万枚)

1975年 昭和枯れすすき 99.5万枚   (シクラメンのかほり 87.9万枚)

1976年 およげ!たいやきくん 453.6万枚 (北の宿から 87.7万枚)

1977年 渚のシンドバッド 94.5万枚   (勝手にしやがれ 74.7万枚)

1978年 UFO 155.4万枚          (同)

1979年 夢追い酒 145.4万枚       (魅せられて 120.4万枚)

1980年 ダンシング・オールナイト 156.3万枚 (雨の慕情 41.2万枚)

 

 受賞してからヒットした曲は「喝采」だろう。レコード売上で言えば1972年は圧倒的に「女のみち」であり、何人もが、声をいがらせて「わ~たし~が~~、ささ~げ~た~」と歌ったものである。喝采は名曲であるのは間違いないが。

 1973年の「夜空」も、同年にヒットしていないし、ベスト50位にも入っていない。五木ひろしに取らせたかったのであろう。

 1974年の「襟裳岬」はダブル受賞であるが、殿さまキングス「なみだの操」、小坂明子「あなた」、中条きよし「うそ」が150万枚以上と比べ、かなり見劣りする。

 

 ヒットと解離した選出が多々あり、そういう不満が番組となったのが、ザ・ベストテンであろう。この集計方法はよく分からないが、その週のヒット曲をかなり把握しており、また、番組に出ない人もベストテンに載せられていたので、信憑性も高まった。この番組は1978年に始まり、視聴率40%超えを達成したこともある人気番組だった。

 

 日本の歌謡曲の賞は、レコード会社やプロダクションの工作と、それへの審査員の忖度の産物である。以前は、結構真面目に議論していたが、そういうものだと知れ渡ったので、権威というものがなくなった。

 

 歌は世につれ、世は歌につれ