スーパーコンピューターの富岳が性能一位になったということで、ニュースになっています。で、思った通り、蓮舫議員にコメントをマスコミが取りにいって、努力に敬意、との談話でした。
二位じゃだめなんですか、でここ十年有名となった蓮舫議員ですが、これだけ長く語り継がれるとは思わなかったでしょう。二位じゃ当選できないのに、二位でいいじゃないですか、はないもんですが、なるほど皮肉な意味でインパクトのある発言だったと言えます。
つまり、科学もスポーツ競技や学力試験のような競争社会の一部であり、そこでトップになるとならないでは、存在することにおける意味合いが全然違うのです。確かにトップでなくても実用上は役に立つでしょうが、競争の中での順位というのは存在意義にかかわってくるのです。
科学の世界ではオリジナリティ、独創性が重視されます。科学は競争社会であり、マネした研究に資金提供はありません。二番煎じの研究に価値はなく、たとえオリジナリティがあったとしても、他に遅れればそのオリジナリティの栄誉は最初の提唱者のものとなります。
蓮舫氏をはじめ当時の民主党議員らは、事業仕分けで無知をさらしたと言えるでしょう。当時、研究者らが愕然としたのが、研究の世界のど素人が金銭面だけで妥当性を評価をしようとしたことで、おまけに官僚の説明が的を外した答弁だったことにもあきれていたものです。
もとの事業仕分けの説明資料ですが、その事業における問題点を示すペーパーがすでに用意されていました。これを用意するのが財務省です。刷新会議は、この財務省の指摘を元に、質問していたに過ぎません。実のところ、こういった予算折衝は、財務省と各省庁の間で毎年行われていて、それを民主党が自分らを格好良く見せたいためのパフォーマンスだった訳です。もちろん、こういう予算折衝を公開するのは別に悪いわけではありませんが、その事業の内容を知らないもの同士が議論してかみ合うものではありません。
研究費の予算獲得のためには、その事業の社会的意義を研究者が考えて担当省庁の官僚(文科省、経産省、農水省など)に説明し、官僚が財務省に交渉するのです。従って、各担当省庁の官僚は、財務省の質問に答えるべく理論武装する必要があり、現場の研究者らは、そのために協力するのです。