こんな僻地へようこそいらっしゃいました。
飴玉と申します。
少しでも愚痴を吐き出したい、毎日胃に来るストレスをぶつけたいと思いブログを始めてみました。
今、私は兄とルームシェアをしながら東京で暮らしています。
兄は真面目で堅実な人で、公立大学を確りと出て大手の会社に務めています。
引き換え私は底辺高校卒で、そのまま専門学校に進んだのですが肌に合わずに中退。
その後、些細な事で母と大喧嘩をして大人気なく家出をし、実家から離れた場所で数年間バイト暮らしをしていました。
そんな私も落ち着いた24歳の頃、実家に帰り派遣で働いていたのですが、友人や恋人を含めた人間関係のもつれと昼夜深夜問わないストーキング行為から酷い鬱を患ってしまい、一日に胡瓜半分しか食べられない、2時間も眠れない日々が続き、158センチの32キロまで痩せ細りました。
この時代は鬱病が今ほど知られておらず、精神を患ったと話したら親友を含めてほぼ全ての友人(と言っても小学校〜高校まで酷く虐められてたので少ないですが)から囲まれ「精神異常者」「キチガイ」と複数人から次々と呼ばれ、その場で全員から縁を切られました。
ここでしか言えませんが、もしもこの時の人達に会う機会があるのなら、殴るか殺すかしてしまうと思います。
そんな中で突然母親が倒れました。
末期癌で肝臓は既に影で真っ白。大腸、胃、脳腫瘍と転移しており、手遅れでした。
それから半年もせずに母は亡くなってしまい、私は両下肢が不自由な祖母の介助の為に25歳で家庭に入りました。
鬱の薬を飲むのを自己判断で一切辞め、どうにか奮起しまして鬱を克服。(したつもりでしたが、今でも鬱の傾向も症状も残ってます)
父親の扶養に入り、月2万円の小遣いと食費3万円を父から受け取り、一日中祖母と過ごしていました。
何処に行くのも、何をやるのも、祖母と一緒に。
車には祖母の車椅子を積み込み、祖母と二人でご飯の買い出しに、お金の掛からない景色の良い場所に、車と車椅子で行ける場所へ、山も海も、何処にでも祖母を沢山連れて行きました。
父は実の母である祖母の事を全て私に任せて、恋人を作っては遊びに行ったり、パチンコに行ったりだったので、食費以外はアテにしてませんでした。
そんな生活を10年、過ごして来ました。
私の誕生日の翌日、祖母がトイレの際に脳幹出血を起こしてしまい、覚醒と呼吸を司る部分が壊れ、意識が二度と戻らなくなってしまいました。
祖母が「死ぬまでに一度で良いからアワビを食べてみたいなぁ」と言ってたのを聞き、少ない貯蓄から奮発して小ぶりのアワビを買いました。
私の誕生日に、父、祖母、私の三人で食べて「美味しいね」「お母さんに冥途の土産話が出来た」と笑い合った次の日でした。
それから9ヶ月、毎日祖母の入院している病院に通いました。
一緒に聴いた全国の民謡や、昭和3年生まれの祖母は軍歌を好んだので軍歌を、時には大好きと言っていた義経千本桜の音声をiPhoneに入れて、眠っているだけの祖母と二人でイヤホンで聞いたりして過ごしました。
沢山車で出掛けた時にも必ず聴いていたので、民謡も軍歌も、全部覚えてしまいました。
次第に痩せていく祖母の姿に、何でこうなったんだろう自分のせいではないのか、私は自分自身を責めました。
母の時も同じでしたが、救いなんて何もありませんでした。
母の時も、祖母の時も、最期を看取りましたが本当に辛くて悲しかった自分と、異常な程に家族の死を冷静に見ている自分が居ました。
その祖母の三回忌が今年の夏に終わり、私は父の元を離れて実家を出て暮らしている兄と二人で東京に移り住みルームシェアを始めました。
都会に出る事が夢でした。
やりたい事が沢山ありました。
おしゃれもしたかったし、可愛い洋服を着たい。
結婚して、女の子を産みたい。
どれもが、私の20代の頃のささやかな夢でした。
25歳から介護生活を始め、祖母の三周忌が終わった今は36歳。来月には37歳です。
父からは、父が倒れるまでは自由にしてて良いと言われました。
もう何年も彼氏は居ません。
白髪が28歳の頃から一気に増え始め、今では52歳で亡くなった母と変わらない量の白髪で埋め尽くされてます。
長年の介助生活で開いてしまった10年以上の職歴は、面接の時点で「何で今さら働く気になったの?」と説明してもニートの作り上げた言い訳と判別されてしまう。
アルバイトの面接が、上記と同じ状況で一ヶ月で30社以上落ちました。
貯金は残り4万円、財布の中身は千円、介護生活の頃に支払えなかった年金の追納、今現在の年金、国民保険料、これらを今月支払ったら、もう貯金は無くなります。
働きたいです。
お金が欲しいです。
アレルギー性結膜炎と膀胱炎を患ってしまい、辛いけどお金が無いから病院にもいけません。
兄と暮らしているので、幸い食と住はあります。
兄に支払う分の家賃は兄から借りてしまってますが。
ですが逆に、現状では生活保護の申請も出来ない。
死なない程度に誰か私を車で轢いてお金くれないかな。
障害3級程度なら残っても良い、障害者枠で仕事が出来るかもしれない、お金が欲しい。
そんな事を毎日考えながら、生きてます。
私は脳が壊れてるのかもしれません。
女性として人生で最も楽しい筈の時期を失い、ニートだった訳でも無いのに仕事にあり付けもせず、父の介護を約束された私の人生は一体何だったのだろう、実家に尽くす為だけに産み落とされたのだろうかと考えない日はありません。