へんてこなタイトルですみません
久しぶりにお風呂に入りました
寮に住んでるので
滅多に入りません
入れませんではなく入りませんです
めんどくさいんですね
大浴場ではなく普通の風呂をワンフロア
つまり14人で使いまわすわけですから
まあ、どこぞの誰かさんの垢はこびり付いてるだろうし
入ってても様子見に来るやつがたくさんいるし
落ち着かないんですね
それに
そこまで、好きというわけでもないですしね
寮で風呂に入る醍醐味は
ザッパーですね
幼稚な効果音で感じで申し訳ありませんが
あれです
トトロでメイたち一家が風呂に入るときに風呂いっぱい溜まった
お湯にドボンです
なかなか爽快ですね
実際に入ってる時間は5,6分です
しっかり水道代の引上げに貢献してます
そんな風呂に今日入ったのは
なんかいっぱいいっぱいだったからです
特に忙しいわけでもないのに
なんでか
精神的にきつい
だから久々に風呂に入りました
おかげでなんとなく理解できました
タイトルの通り「なきゃ」
つまり「~しなきゃ」がたくさんたまってたんですね
僕は何かといろいろ背負ってしまう癖があるんですね
言い方を変えると
物事を勝手にとにかく複雑にするんですね
で、その「しなきゃ」でリュックがいっぱいになったから風呂に入ったということなんですが
何を背負ってるのか、それは捨てられないのかなと考えたところ
ほんとうにどうでもいいことなんですね
でも、そんな些細なことがたまって
「しなきゃ」になってるということに気付かず
当然のように背負い続けてたんですね
中学くらいからいろいろ背負ってきました
ここでいっときますが
背負うと表現すると少しドラマみたいにいい感じに聞こえるかもしれませんが
極端に言うと勝手に状況を解釈して
することを複雑にして
自分の中でしなきゃに昇華させたという感じです
まず、断言できるのは
どんな人間であれ人生で本当の意味で「しなきゃいけないこと」はないということです
人生にしなきゃいけない課題はないという感じです
形上「しなきゃ」いけないことかもしれませんが、
それをすると選択してるのは自分です
動かされてるんじゃなく、動いてるんです
そういった意味では人は本当に自由なはずです
僕は自分からしなきゃをたくさん作りました
子供のころは誰しもそうですが
しなきゃなんてまったく考えません
僕もそうでした
でも
少しずつ成長するにつれて
このままじゃだめだと思ったんですね
周りと比較して
社会的にダサくなると思ったんですね
しなきゃを全部捨ててしまえば楽かといえばそうではないと思います
この社会に生きてる限り、そうとうできた人間でない限り周りと自分を比較してしまうはずです
まわりは自分の夢に向かってる
周りはしなきゃいけないことしてる
自分にそういったものは何もないと結構不安になるものだと思います
僕もそんな感じでした
何かしないと
損すると思ったわけです
ダサくなると思ったわけです
そのままの自分はダサいと思ったわけです
正直、本心でしたいことでもないのに周りがしてるから見たいな感じで始めるほうがダサいっすけどね
したいがないならないでいいと思います
必ず出てきます
それをしなきゃで始めるとおかしなことになるんですよね
でも
しなきゃをたくさん抱え、なおかつ日々生活してる人は強くなると思います
しなきゃを乗り越えると人は強くなるとも思います
それでも
そのしなきゃが自分にとって本当に大切なことのためのしなきゃなのか
周りと比べて作ったしなきゃなのか
そこによっては雲泥の差です
変なしなきゃをしょい込むと本当に大切なことは見えなくなります
しなきゃを捨てたら、残るのはしたいのはずです
とにかくあまりしなきゃと思いこまないことですね
とかいいつつ
いま自分にとって勉強はしなきゃに近いです
でも、本当に必要な「しなきゃ」はこれくらいです
僕は日常のすべてに「しなきゃ」が詰まってた気がします
それに対応するので手一杯
全部捨てちゃいましょう
ほんとうに大切なの以外
しなきゃからは何も生まれない
とかいっても
また数日後にはいろいろ背負ってると思います
変な奴ですね
読み取りにくい文章になってしまいました
申し訳ございません
また、ここまでたどり着いてくれた方
ほんとうにありがとうございました