自分の頭の中もゴチャゴチャになりそうなので書き留めておくことにしました..。

ゆうまの体調がおかしくなり始めたのが小学校に入学した春頃だったかな...。

顔色が悪いことも多く、背中の褥瘡も悪化し整形の外来日は仕事が終わって週に3回は洗浄に通い、先生にずっとなんとなく体調が悪い。背中からではないですか?とずっと聞いていました。答えは「違う。微熱も続いてるし総合診療科で診てもらったほうがいいかも」という答え。

原因はわからず1年生の夏....。頭にいれているシャントが脳室から抜け大学病院で入れ替えの手術で入院。その時大学病院のWOC(褥瘡などの認定看護師)の方が背中の異変に気が付き先生に呼ばれる...。お母さん背中の中が厄介なことになってるかも。まずは開けてみないとわからないけど手術的な洗浄が必要なのは確かな事。との説明。

 

1時間の予定の手術が待てど暮らせど出てこないガーン

4時間後先生の疲れきった顔で大変だったことはすぐわかりました。背骨をとめていた金具に感染をおこし背骨を含め周りの組織も腐っていた。よく敗血症にならずにここまでもった...。との事。敗血症にならずになんとか保ってくれたのはオシッコで飲んでいた抗生剤の予防内服のおかげで血中の菌が全身にまわらなかったのかも。と言われた時はまっずいバクタに感謝だったな...。

 

大学病院での治療はかなりつらく私の精神もドンドン追い込んでいきました。ゆうまの背中には大きな穴が開いたままの治療で、とても見れる状態ではなく処置の度に廊下でまつ...そして私は外に出られない...。付き添いを離れることがすごく厳しく外に出られない。

そんな中旦那が話があるんだけど...と電話がありもともともってる椎間板ヘルニアの悪化で左足に痺れがでてる。病院にいったら大きな手術しないといけないって言われた。ゆうまに付き添ってる私にどうしても言えなかったと...。結果旦那は椎間板を人工にかえゆうまと同じ椎弓切除後方固定術という大掛かりな手術をしました。もちろん付き添い中の私はお世話できないので洗濯その他は親に任せ手術の日くらいしかまともの旦那の病院にはいけなかったな..。

 

悠真の背中は完治せず、これ以上は無理だ..。と大学病院の医師に言われこども病院にもどるよういわれる。医者は神様ではないとまで言われる始末...。

退院した3日後高熱でるも受け入れ拒否。こども病院に入院。

ここからまた長い治療がはじまりました。

 

こうやって書き留めておくとゆうまが頑張ってきたのが記憶も薄れずいいかなと思い、この長い入院生活にあったことをブログをさかのぼりまとめてみようかなと思います。続きはまた次に...

 

追記. ゆうまにあったことは二分脊椎だからというわけではありません。合併もありますが二分脊椎だからこうなる。なんてことではないので不安におもわないでくださいね。二分脊椎はそれぞれ症状が違い、歩ける子もいれば気管切開してるお友達もいます。

ゆうまの話がすべてではないので安心してくださいね。