こんにちは
あゆみです
前回のお話はこちら▶︎▶︎
私って根性もないし頑張るキャラじゃないとずっと思っていたのに…
人生を振りかえってみると、結構頑張ってたことに気付きました。
でもそれは他人に認められるためでした。
人からすごい!!とまでは思われなくても、少なくとも普通だと思ってもらいたかった
みんなと同じラインに立っていたかった
他人というのはおそらく母親なんだろうと思いますが。
母親が思う「普通」になりたかったんですね。
しんどくて頑張れなかったらそれはそれで恐怖に襲われて自分を責めてました。
だから頑張っていても頑張っていなくても苦しかったんですよね…
自分はこのままで価値があるなんて思ってもいませんでした。
常に、○○すれば幸せになれる…
そう信じて何かを追い求めていました。
自分を抑え我慢するのが当たり前になっていた私
普通に憧れ続けて、なんとか結婚して子供も産まれました。
一見するとすごく幸せに思えるのに、私は自分の分身のような子供に激しい怒りをぶつけるようになりました。
積もり積もったストレスをそれで発散していたんですね…
それくらい我慢し続けていたんです。
今考えると怒りを出すことで自分を保っていたんですね。
自分を怒らせる子供のことを憎らしく思っていました。
怒り=悪だとしか思っていなかったから…
でも同時にすごく愛していて大切な存在でした。
だから大切な子供を私という毒親から救い出したかった。
それは自分を根本から変えるしかない。
それで心のことを学び始めたんですよね。
私はどうしてこう思うの?
なぜこういう行動をとってしまうの?
ということです。
人間って自分を責めることがデフォルトなんだそうです。
ぼやっとしてたら命の危険が常にあった時代、自分を責めることで危機感を持たせ、命の危険から自分を守っていた。
安心して暮らせるようになった現代になってもその人間の本能は相変わらず染み付いていて自分を責めてしまうんだそうです。
だからかなり意識しないと自動的に責めてしまうんですよね…
私も例に漏れず自分を常に責めていました。
人を責め、自分を責め、責めてる自分を責めていました。
こんなに責めてるのかと愕然したものです。
頭に自動的に浮かぶ言葉、改めて書き出してみるとよくわかりました。
でも今まで無意識にやっていたことに気づけたことが私のスタートでした。
もう自分を責めないと決めました。
そして自分の中に自分の一番の親友を置くことにしたんです。
子供の頃から私には親友と呼べる人はいなかったです。
仲良してくれる人はいたけれど、嫌われるのが怖くて自己開示することができませんでした。
でも私の中にいる親友には自分の全てを曝け出しました。
感じてはいけない感情はひとつもない、と。
親友はその感情を一切否定せずに受け止めます。
そして、共感して、優しく励ましてくれる。
そっと背中を押してくれる。
そんな感じで、自分に親友のように温かい言葉をかけ続けることにしました。
これがセルフコンパッションと呼ばれるもの
私はそう理解しています。
過去の苦しみや後悔だって今の悩みだってすべてセルフコンパッションすることで美しいものに変化する
すべてのことに意味があって、すべてのことは自分を幸せにするために起きていることなんだとすら思えてきます。
綺麗事かもしれない
こぎつけかもしれない
思い込みかもしれない
でもそれでいいんですよね
全ては自分がどう解釈するか!
そうすると、これまでの失敗や黒歴史だと思っていたこと全部が宝物のように思えてくる。
すごく心が解放された気持ちになれます。
私はもう自分がどう思うかを自分で自由に選べる
選んでいい
いや、今までも自分で選んできてたんだろうけど、勝手に制限をつけていた。
これからも癖で制限はかけるんだろうけど、無意識にかけてるのと意識できてるのとでは雲泥の差ですよね。
自分で選ぶ
自分で決める
って、逆に言えばもう人のせいにできない
人のせいにして逃げ続けることはできないから
ある意味怖くなったり、
しんどく感じたりもするけど
これからの人生どう生きたいかな?って考えたら、やっぱり答えは明白で
自分で選んでいきたい
と思うんですよね。
まだまだ発展途上すぎる私ですが、
昨日よりも自由な私
を目指して
ベイビーステップでやっていこうと思います![]()


