まだ続きます滝汗


やっと授かった子ども。
何度も流産してやっと生きて生まれてきてくれた
大切な息子。


彼と向き合う中で
親に向けていた顔と息子に向き合う自分との間の溝に気付いていきます。

息子が10か月くらいの時でした。
実家に遊びに行ってて両親との会話。

 
『泣かしたらあかん、可哀想』

え?
泣かしたらあかんの?

『あかんあかん、泣いてるのかわいそう』

泣かせる、ていうのは
ちょっと方言っぽい使いかたですが、
要は子どもが泣いているというのはかわいそうなので放っておくなんて言語道断、みたいな会話ですね。



ええー
泣いてるの、あかんの?


晩ご飯作ってたら 寂しくて泣きますよね。
赤ちゃんて、なにしてもどんな対策しても
泣きますよね。
泣きますよ。
泣きます。


だってそれが仕事やもん。

でも両親の言葉をうけて、
家に帰ってからわたしは、
ご飯も作れずに
泣く息子を抱きしめながら
キッチンの床に座り込んで
動けなくなってしまったのでした。


泣かしたらあかん。
泣いたらすぐに抱っこしてあげないと。


もう、脅迫されてるみたいでしたね。


座り込むこと1時間。
あ、わたしおかしい、とここで気づいたのでした。






河原の石で作った顔たち。
ちょっとパーツをずらしただけで
全くちがう表情になる。
石セラピーと呼んでます。