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⭐西城秀樹さんとの思い出の中で…




私の人生の中で伝える事として…






「赤影の坂口祐三郎。」






そして西城秀樹さんの歌は勿論、


歌謡史に大きな影響を与えた作詞家「阿久悠氏」との目に見えない大きな接点を感じます。



 


✴️私がまだ生まれる前、1962年TBS日曜の夜7時放送の忍者時代劇「隠密剣士」がある。




忍者ブームの火付け作品として、今なお語られる作品。


その脚本に参加して番組の骨子に力を注いだ「伊上勝氏」。







彼が当初在籍した広告代理店の部下の一人が後の阿久悠氏になる。


伊上氏はその時点で番組の主題歌、脚本等、才能を発揮。


大きな影響を受け、阿久悠氏も作詞家として活躍。


伊上氏は以降、『仮面の忍者赤影』(1967)


『水戸黄門』(1969)



『仮面ライダー』(1971)


の脚本を担当。




人気脚本家に成長する。




阿久悠氏もその後…



『また逢う日まで』(1971)で、レコード大賞を受賞。



西城秀樹さんの活躍前の時期に差し掛かっていた。


■翌1972年、『恋する季節』でデビュー。



私が西城秀樹さんと会って話た時、『ブルースカイブルー』の話題になった。




最初に聴いた中学生の頃から10年以上過ぎていたものの、西城さんのナンバーの中で、最も好きな唄である。

それを西城さんに伝えると、嬉しそうな笑顔を見せ私に語ってくれた。


「『ブルースカイブルー』は阿久悠先生が僕の為に書いてくれた、本当に大切な1曲ですよ。
ファンの皆さんも同じ気持ちと言ってくれてます。」と彼は話したのです。

後年、坂口さんが亡くなった時に私の脳裏を走った『ブルースカイブルー』。

その原点は阿久悠氏であり、その師匠的立場にいた伊上氏。

きっと伊上氏の赤影の台詞の数々を坂口祐三郎が子供時代の私に、テレビを通じて繰り返し語り続け、現実の世界でも人間関係が構築していったのです。

そして坂口さんとの別れの時には、西城秀樹さんの歌が私の心に染み込んでいったと思うのです。


いつか私の小説『仮面と生きた男』を映画にする時。


最後のシーンでは『ブルースカイブルー』を流したいと思った時、2018年、西城秀樹さんがこの世を去ります。



出棺の際、『ブルースカイブルー』が流れ、多くの人の涙を誘うのです。




デビュー50年を越えた西城秀樹さん。

そして生誕83年を向かえた坂口祐三郎今年は没後21年を迎え、決して彼を忘れ無いと思う。






二人の接点に不思議な気持ちになった1日でした。