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❑遠い昔今から半世紀以上前に現れたニューメディア、テレビ。
白黒テレビが家庭に導入されても映画業界からは格下と相手にされず電気紙芝居と揶揄される。
所が速報性の高いテレビは徐々に映画業界を圧倒しだす。
そして最初の東京オリンピック(1969年)からカラーテレビが出現するも余りに高額の為一般人には手の届かない高級品。

映画業界は毎年数字を落とし予算カットリストラを断行しても対抗出来ない。

そんな中将来のカラー放送に期待を寄せるテレビマンと映画業界の危機にあえぐ映画人が当時の家電大手の三洋電機のカラーテレビ予算を獲得して日本初のカラーテレビ時代劇/赤影を製作する事になる。

その赤影を見事に演じ大スターになった名優/坂口祐三郎と私の二人三脚の物語、小説『仮面と生きた男』(扶桑社刊)から見た新たな物語である。




❑上記下は昭和表記つまり昭和30年1955年から昭和50年1975年迄の映画入場者数と白黒テレビ、カラーテレビのグラフ。




▓9月3日、名優/坂口祐三郎の生誕日である。

1941年昭和16年福岡県久留米市で生まれる。

今年存命であれば83歳。
それ程不思議な年齢では無い。
彼は高校在学中に同級生の送った写真が当時の東映ニューフェイスの選考者の目に止まり多くの応募者の中から見事選抜され、東映の俳優として時代劇絶頂期の後半期にデビューする。

現在と異なり当時は映画館に人々が溢れる状況だったと言う。
シネコンシステム、配信、ビデオパッケージは勿論、各家庭にも、テレビが高額の為無く、ラジオを聴くリスナーが多く居たのだ。
 
私と彼は10年近くに渡るエンターテインメント業界を走り抜け、彼が後に金字塔と呼ばれる、赤影での偉業を後世に伝える啓蒙活動に人生を賭して挑んでいる。

何故なら、この世を去る前、彼が私に託した自作の仮面と自分の人生を、いつか本にして多くの人々に自分の活動を伝えて欲しいと託されたからである。

その約束を果たす旅の途中でもある。



そして7月13日赤影/坂口祐三郎の命日。


2003年7月13日に突然の病に倒れ、この世を去る事になる。

あれから21年が過ぎた。


あの日も暑い夏の日だった事を昨日のように覚えている。

私の幼少期、おそらく幼稚園前にテレビで赤影を視聴していた記憶は少し残っている。



▓当時のテレビ画像のエンディング▓


赤影の番組エンディングのカットのシーンで髪型が風に吹かれても変わらない姿を不思議に思い、強いスプレーで固めていると一方的に信じてそう思った記憶が残っているから



以降、私は赤影にガッチリ、はまり、身も心も赤影の坂口祐三郎に魅せられる事になる。


私と坂口祐三郎が不思議な縁で意気投合してエンターテインメントビジネスに進んだ時、幼少期の思い出を語る事になる。






彼は笑顔で、髪はカツラ。

熊の胸毛を固めて被っていた事。

あのエンディングは良く覚えている。


私に語ってくれた。

  ■赤影公式第1話■






さて本題。


赤影放送の衝撃は当時凄まじく、カラーテレビのプロモーション効果に気を良くした三洋電機は放送開始の余勢をかって大イベントを仕掛ける。

外に向けるイベントと異なり主に全国三洋電機の社員。

しかも女性社員中心になる。

本来、赤影は子供番組の立ち位置にも関わらず、主演の坂口祐三郎の人気が爆発したのだ。



▓この三洋電機が大盤振る舞いをしたイベントの司会は当時大阪から全国へ飛び出し大人気を博した京唄子啓助のお二人。




更に坂口祐三郎の赤影ショーの前座が凄い。

デビュー間もない後の大スター。

1人は青江三奈さん。



そしてもう1人は森進一さん。



後年、彼からサラリと聴いたその話しに息を飲んだくらいである。




会場の女性社員はトリの赤影ショーに大歓声を送り、また彼も持ち前のエンターテイナーの才能を遺憾無く発揮する。






イベントラストには京唄子啓介師匠が会場から選んだ女性社員をステージに上げ、拍手喝采の中、司会者に促され仮面を外すと黄色い声が叫び声に変わったと言う。


今思うと、これこそ規模も内容もケタ違いに凄いものの、キャラクターショーの原点かも知れない。

赤影の人気は不動のものになり、東映の知名度はテレビ業界ヘ浸透する。

後に今も続く、仮面ライダーショーのスタートはずっと後の時代。

今では考えられない豪華イベントでもある。









▓今や三洋電機そのものが無くなり語り継ぐ事の出来ない伝説のイベントであった。





▓あの遠い昭和の時代、カラーテレビの普及率を押し上げる大きな役割を果たす事になるとは、25歳の青年、坂口祐三郎は夢にも思って無く、半世紀を越えても主演作品と共に多くの人々に愛されるとも思わなかったと思う。