❑瀬崎智文PROFILE⇩⇩⇩⇩⇩❑











❑坂口祐三郎の思い出を少しまとめてみた。






彼が赤影の人気を誇った頃、当然次の企画が目白押しだったと言う。





しかし現在の特撮に特化した俳優と異なり、彼は当時、次世代の映画スター候補の若手として育てられ来るべき東映の看板スターの一翼を担う存在だったのだ。











❑当時、東映の若手看板映画スターは中村錦之助さんである。



その彼の吹き替え俳優と若手映画スター候補として活躍する中で、思いもかけない映画の斜陽が訪れる。


❑その斜陽の要因である、テレビの進出は街灯テレビから始まり、一気に映画界に襲いかかる。




それまで栄華を極めた映画会社が製作した映画の観客が激減するのだ。


大手を含む映画会社は倒産、縮小体制に変わり、東映は映画を時代劇から任侠系作品へシフト。

また各テレビ局の開局後は、かつての時代劇スターをテレビドラマへと移行させる事になる。



❑坂口祐三郎もその波にのまれ、テレビドラマへ活躍の場所を変える事になる。



劇場映画から小型の電気紙芝居と言われたテレビへの移行を抵抗するスタッフも現れ映画界は大変化を求められる事になる。



『私は赤影を単なる漫画本から映像に昇華させた最大の功労者は坂口祐三郎であると断言できる。』




私自身、赤影の関係者に数多く会い、様々な話を聞いて来た。


順不同で色々協力サポート頂いた皆さん。

肩書は当時、尚、現役の方は割愛するので、ご理解ください。


・坂口祐三郎(赤影)

・牧冬吉(白影)

・金子吉延(青影)

・平山亨(東映プロデューサー)

・加藤哲夫(関テレプロデューサー)

・小野登(赤影/監督)

・その他、赤影に関わった多くの皆さんのご協力頂きました。

・特に東映関係者の皆さんには、私の情熱と坂口祐三郎との関係性を重視頂き、様々な角度からのご協力に感謝申し上げたいと思います。






❑しかし坂口祐三郎の奮闘無く果たして赤影と言う作品はこの長い期間、愛されるだろうかと思う。



映画スターを託され、テレビにシフト。


腐らず一生懸命に俳優業に取り組み、明日をも知れないギャンブルのような世界で誰もが憧れた正義の味方を演じたのだ。


 
どんなに予算を注いで制作しても自宅のテレビの瞬時に流れる速攻性には叶わず、映画会社は淘汰される。


彼が当時どんな想いで仕事に挑んでいたのか?

二人三脚の時は見えなかった何かが、ようやく最近見えて来たようである。




 




 ❑赤影公式YouTuber第1話❑