⭐坂口祐三郎が初めて『赤影』のオファーを受けた理由。


それは当初の俳優が赤影役を降板する事から始まる。
人材豊富な当時の東映京都ではあるものの、人気スターはすでに別ドラマのキャスティングが決まっていて、知名度の上がって来た、坂口もまた他のドラマ、司馬遼太郎原作の『新撰組血風録』第2部に出演が決まっていた。

1部の出演から人気を博していたものの、まさかの『赤影』への移動命令が会社から下った。



彼は当時、主役経験の無い立場。

子供番組とはいえ、主役の経験は役者としては千載一遇のチャンスと捉え、その仕事を受ける。



東映にとっても初のカラーテレビ作品ではあるものの、説明は一言、『今度は色付きだから…。』



つまりモノクロもカラーテレビも役者には関係無い、良い演技を見せれば良い。



そう言う思いで、取り組んだと語ってくれた。

50年以上前の世の中。

正確には58年前。

1966年昭和41年12月であった。



 ■赤影公式第1話■



ちなみに彼が撮影所の過酷な撮影に挑む中、当時の世相を振り返る、年末のレコード大賞は8回目を向かえた。


■日本レコード大賞受賞曲、霧氷/橋幸夫。



■レコード大賞/作曲賞・星のフラメンコ/西郷輝彦。


⭐ちなみに西郷輝彦さんは鹿児島出身。
歌手よりも俳優のイメージが強く特に時代劇に魅せられる事に。
坂口祐三郎の出演の多い水戸黄門を皮切りに大岡越前、そして江戸を斬るで主演を務めた。




■日本レコード大賞作詞賞・君といつまでも/加山雄三。

私の幼少期の遠い記憶の音楽が流れる街から離れて、坂口祐三郎は一人黙々と自宅と撮影所の往復の毎日を送り続けるのだ。


そして赤影の衣装に身を包み、前例の無い、仮面の忍者の役に挑む事になる。




坂口祐三郎、25歳の冬であった。

人は不思議と思う。

私は赤影のイメージで彼と出会い、切磋琢磨して人間関係を磨いていった。

きっと、その信頼の『証』として自作の『赤影の仮面』を託してくれたと思うのだ。

また彼が坂口祐三郎として活躍した順風満帆の時代、赤影の大ブームを巻き起こした絶頂期。

そしてその後の苦悩、葛藤の時代の経験をする。



とはいえ、彼が最後迄、赤影と心中する覚悟と言った事を私は生涯忘れる事は無いと思う。







■私がプロデュースした赤影dvdシリーズ、Blu-ray。
彼と私の人生をセミフィクションでまとめた小説『仮面と生きた男』。
























彼の多くのファンの皆さんも私がいる限り、赤影、坂口祐三郎への熱い想いは、燃え続けると信じて欲しいと思う。