どうも、メンヘラサイコパスだったサイ子さんです。

最近ある本を読み終えました。
それは



実際あった殺人事件を取材した方が書かれた本です。

そこには私の記憶にも刻まれている
個人的に加害者の方に共通点を感じるものがあります。


心のすれ違い、
自身のエゴ、欲望を押し付け
理解されないやるせなさ

自分を生きられない悲しさと悔しさ、
憎悪感が詰まっていて

私も同じような
経験があるので、蘇りゾッとした瞬間が何度もありました。

私は両親を殺そうとしました。
子供の頃からそんなことはずっと考えていた。

計画的だったり
衝動的だったり、それは何度もありました。

自殺未遂もしましたし
愛する息子を道連れにしようともした。

両親や元旦那さんとの生活の中での出来事が
フラッシュバックして突然死にたくなったり
殺したくなったりしました。

それでもしなかったのは?

今は記憶も心の傷も自分自身で修復させ
過去と同じ嫌な出来事に遭遇しても
解決改善することができるようになりました。

自他の命をどうこうするかしないかは
勇気がある無しの問題ではなく

逃げても堕ちても
生きていく自分を許し

自分を生きる覚悟があるかないか。

そんな表現が妥当かと思います。

もし私自身、逃げることを許さなかったら…

確実に息子を道連れにこの世を去ってます。
生きるための選択でした。

子供のためになってるようでなってないかもしれないけどね。

人が引いたレールを生きていくのは
自由がないかも知れないが
うまくいなかければ誰かのせいにできていた。

自分を見捨てる不自由な生き方は意外と楽だったのかもしれない。

そこから抜け出して
自分を生きていくことは
パワーがいるものだ。

逃げる勇気と自分を生きることは
ある意味フットワークというか
正気に戻るきっかけがなければできないかもしれない。

そう、人を手にかけてしまう方は
正気を失っている、
自分を見失っているのだと思った。

奪われたというのかもしれない。

私と彼らの違いはそこにあるかも知れない。

逃げることは生きるために必要でもある。
結局は逃げるも立ち向かうのも
そのまま流され生きるのも

自由に選択できるのだ。







富士山の西湖。

昭和の時代に台風で土砂崩れがありたくさんの方の命が奪われました。


悲しみの中、亡き人をおくり

生き抜いた人々の強さを感じました。


日本の夏休みといった感じ🌻


自分を許し、癒し
心豊かに生きていく方法はいくらでもあります!