こんにちは。



ブログを再開する宣言をしてから

あっという間に5月が終わりました。


早い、早い。




この間には、地域で新しいイベントを

立ち上げたりもしてましてね。



書きたいネタはいっぱいあるのですが

どうも気持ちに余裕がなくて。



でも、今日でひと区切りしたので

ここから少しずつでも

ペースを上げていくつもりです。





で、何がひと区切りなん?

って思いますよね。



実は、今日が父の忌明けでした。


去る4月20日、急に逝きました。




今年に入ってから

かなり衰弱はしていたのですが


でも、そんなに早くお別れすることに

なるとは全く思ってなくて。



だけど心の中で「もういいよ」と

思ってたのも事実でした。






父は60代後半から

アルツハイマー型の認知症でした。



6年前、母がもう家でみられないと言い、

特別養護老人ホームに入所しました。


73歳の時です。



最初のうちはね、面会に行くと

私の名前はわからなくても

とても喜んでくれてました。


家族というか、とても近しい人だとは

感じてくれてたようです。






そして4年前、母が亡くなったすぐあと

コロナがやって来ました。



コロナ禍では面会が出来なくなり

やっと会えたのは、父がてんかんの発作で

救急搬送をされた時。



そのことはブログにも書いてましたね。


『今日はわたしの誕生日です』こんにちは。 『いまのわたしと向き合ってこれからのわたしを好きになる』 いま好きオーガナイザーのamiです。   今日は1年に1回やってくる大切な日わたしの…リンクameblo.jp





退院して施設に戻ったあとも、

なかなか面会解禁にはならなくて。


やっと対面で会えるようになった頃には

もう車椅子でないと移動ができないくらい

足が弱ってました。



自分の足で歩かないと

身体がどんどん衰えていく。


そうしてますます歩けなくなる。



そのうち食事も自分でとれなくなって

介助が必要になっていきました。






今年の4月半ばには

体調がかなり悪くなってると

施設の方から連絡をいただいて


出来れば早めに面会に来て欲しいと

言われました。



久しぶりに会った父は

しんどそうな呼吸をしながらも

ベッドで眠っていました。



大好きだった母のところへ

もう行ってくれてもいいよ

今までありがとう


そう思いました。




その次の日の夜、

父は母の元へ旅立ちました。






できることなら最後にもう一度だけ

名前を呼んで欲しかったな。


私のこと忘れてなかったよって

言って欲しかった。




大好きでした。


いまも心が痛いです。




告別式で棺のふたを閉じる時に

大声をあげて泣いてしまいました。



お別れするのが辛くて悲しくて

どうしようもなくて


お別れしたくないと

駄々をこねる子どもに戻って

大泣きしました。




だからね、いまもまだ

うっかり油断すると泣いちゃう笑



これを書いてる今もまた

やっぱり涙が…ね(T^T)




考えてみたらお母さんの時よりも

間違いなくたくさん泣いてる。


「あんたはやっぱりお父さんやな」

そう言ってる声が聞こえてきそう笑




いやいや。


父と母が居てくれての私だからね

2人出逢ってくれてありがとう。



これからも2人で仲良く

宙から見守っていてください。





長くなったので今日はこのへんで。




次こそは、今私が取り掛かっている

地域プロデュースについてを

書いていきますね。