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 4月の帰国について書いていなかった。

この「育った町」に1人で行くという小さな夢。

もう桜も散ってしまった後の4月に1人で
出張も兼ねて帰国した時に実現。

育った町の駅に着く。

駅も改札口もあの頃とは
全く違う景色で住所方面の出口を
確かめながら改札口から出る。

遠くまで高い建物のない景色だけが残っているような。
でも足がどんどん進む。

何かに吸い込まれるかのごとく
どんどん歩く。
途中、自分の通ってたピアノ教室を発見。

“こんなだったけなぁ”

と思いながらも100%場所に間違いはなく
もう既に胸がいっぱいになってきた。

どんどん進む。

右側に懐かしい公園が見えた時は
今にも泣いてしまいそうな気持ちでいっぱい。

公園の中にぽつんと、もう需要がなく
ただの飾りと化したような
一本の木でできたシーソー。
独特な切り込みを見た瞬間
その上で遊んだ感触まで鮮明に蘇る。
胸がいっぱい以上になってきてしまった。

公園を見渡す。
あの時は確かに私はここにいた。
おばあちゃんのいた毎日の生活の中で
ここによく来てた。
このタイヤで作られた飛ぶやつも
この大きな木も。

公園を飛び出す。
もうすぐ家だ。

右側に昔からある地主?農家?
大きな敷地の家。
変わってない、、、。そのまんま。

その先に家が見えた。

2号棟側から歩いてくる。
中庭が見える。
ローラースケートで遊んだ中庭が
本当に狭くて小さくて
涙がブワッと溢れてきた。

ここで遊んでた。
小さい子供達いっぱいで
私はローラースケートの先生役だった。

その先に1号棟のベランダ側。
左から1、2、3、、、。
もう涙でぐちゃぐちゃだ。

私の家。

家に帰って誰もいなかった時
何回このベランダから入っただろう。
カーテンの感触。
ピアノ。
ソファー。
ハッキリと思い出せる。

玄関側に回ってみる。
今は私有地になるのだろうけど
数分思い出に浸らせてもらいたくて
敷地内に入っていく。

左側にあった公園は
もうなかった。

でもそれ以外は約30年前と同じ景色。

奥に歩いていく。

1、2、3、、、。

もう号泣。

2階の舞ちゃんとバケツに紐付けて
遊んだ部屋。
その窓を挟んだ奥で私は毎日寝てた。

三段の階段。
ポスト。

ここで雨の日は傘のお家をした。

向かいの倉庫は特別だった。
埃臭いんだけど
本当に特別な時だけそこで遊んだ。

色々な楽しかった思い出が次から次と
いっぱい溢れてきて
もう本当に抑え切れなくて
思いきり号泣しながら、今は私有地となった
アパート敷地内を突き進んでいった。

おばあちゃん、私もここに来れたよ。
数年越しで来れたよ。

楽しかった、幸せだった!
それ以上何を望むのかって今なら思うほど
輝いていた時だと思う。

郵便屋さんが来て
号泣しながら歩く私はかなりの怪しい女丸出しだったので、そのまま小学校の近くのパン屋さんまで行こうと決めて、また道をどんどん突き進んだ。