こんにちは。私はセヴァン・スズキです。


私は子供環境協会ECOを代表して話しています。

私たちはカナダから来た12歳から13歳の子供たちのグループです。


私たちはここに来るために全てのお金を集め、6000マイルを旅しました。

今日、私はあなた方に対して率直にお話したいのです。

私は世界中の子供たち、そしてすべての未来の世代を代表して話をするためにここにいます。

私たちは、あなた方大人にあるメッセージを伝えたいのです。あなた方はやり方を変えなければなりません。

また私は、この惑星全体の野生動物を代表してお話しするためにここにいます。

私たちが彼らを住処(すみか)から追いやっているため、彼らは死んでいっているのです。


ほんの数年前、私はバンクーバーで父と釣りを楽しみましたが、今私たちはたくさんの病気の魚を目にします。


動物や植物は毎日絶滅しているのです。

私はとても多くの野生動物、ジャングル、そして熱帯雨林を見ることを夢見ますが、私の子供たちは同じ夢を見ることができるでしょうか?

あなた方は私の歳のときにそんなことを心配をする必要がありましたか?

環境破壊は私たちの目の前で起こっているのに、それでもまだその問題に対する答えを見つける時間があると私たちは考えるのです。

私たちはどうやったらオゾン層の穴を直すことができるのでしょうか?

私たちは死んだ川にどのようにして鮭を戻ってこさせることが出来るのでしょうか?

いくつかの美しい森は、今では砂漠となっています。


もし直すことが出来ないのなら、壊すのを止めてください。

ここではあなた方は自分の国の代表かもしれません


しかし本当はあなた方は母であり、父であり、姉妹であり、兄弟です。


そしてあなた方は一人ひとりは誰かの子供でもあるのです。

私たち50億人の大家族の一部なのです。

私たちは、皆同じ境遇にあるものとして、1つの目標に向って協力するべきなのです。


Cutting Edge2 2012 (14)


①見ることと聞くことは質的に異なる知覚体験である。

このことは、視覚と音を決して混同しないという事実からも明らかである。

触覚や味、そして匂いについても同じことが言われている。

実際、伝統的な感覚の5分類、すなわち触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚は、こうした質的な違いに基づいてなされている。

では、脳はある種類の知覚体験と別の種類の体験、たとえば音と視覚、匂いと味をどのように区別しているのだろうか?

視覚と音を例にとって、この疑問について考えてみよう。


②聞くことに対する刺激である音波と、見ることに対する刺激である光エネルギーが、根本的に異なっている点を指摘することで答えることは簡単だ。

しかし、この議論は適切とは言えない。

なぜなら、脳は音波やエネルギーを直接受け取っているわけではなく、神経インパルスと呼ばれる微小の電気信号を受け取っているだけだからだ。

つまり、脳の観点から見ると、入ってくる信号はすべて事実上同じなのだ。

それでも、互いに似てはいても、それらの神経インパルスは異なる発信源、すなわち目と耳から生じていると指摘するかもしれない。

さらに論をすすめて、そうした発信源はは根本的に異なっており、特定の種類の刺激だけに反応するようにできていると言うかもしれない。

目は光には反応するが音には反応せず、耳にはその逆のことが言える。

したがって、見ることと聞くことの独自性は目と耳の違いによるものだと結論付けるのも無理もない。


③[しかし、近年の科学技術の進歩により、光や音に対する知覚は、目や耳が関与しなくても生じることが分かった。目や耳を迂回して、直接脳を刺激することができるのだ。例えば、脳の後部のある一点を刺激すると、光の輝きが知覚され、また脳の側面の決まった個所を刺激すると、その刺激を受けた人は音が聞こえるのである。]


④こうした観察結果から驚くべき結論が導き出される。すなわち、聞くことと見ることの決定的な違いは、目と耳がメッセージを送る脳の「部位」にとって決まるというものである。今日では、目から伝わる神経は脳のある場所へ、耳から伝わる神経は別の場所へといったように知覚神経は脳の特定部位に伝わることが確認されている。視覚や音の区別は、脳のさまざまな部位に固有の特性に関係していると広く信じられている。


⑤ここで面白い質問がある。仮に誰かが、目からつながっている神経を、普段は耳からの信号を受け取る脳の部位につないだらどうなるのだろうか?また同時に、耳からの神経を、通常、視覚情報を受け取る部位につないだら一体何が起きるだろう?驚くべき答えはこうである。激しい雷雨の最中、稲妻の閃光を耳で聞き、雷鳴を目で見ることができるだろう