選択の積み重ねで描く人生
5日目・森のカフェをリサーチしながらわくわくする。・目の前の人に何が出来るかを意識して振る舞う。いっつも自分がどう思われるかどう見られるかばっか心配して不安になって怖くて人の中に居ることが苦痛だった。他人に何かをしたいと思っても「私なんかにそんな資格はない」「私が関わっても喜ばれない」みたいな感覚に飲み込まれていつも受け身で生きてきた。ようするにテイカーとしていつも他人の下に入り込んで私には力が無いと自分で決めて与えられることばっかりで生きてきた。だけど自分では与えて生きてる被害者意識に浸かりながら本気でそう思ってた。それは可哀想なお母さんのため年の離れた幼い妹のため精神崩壊している旦那さんのためもちろん、子どもたちのため私は自分を抑えて我慢して時間も労力も時にはお金だって捧げて生きてきたって思ってた。だから、気づいたら怒りと恨みでいっぱいになっていた。社会とか世間とか時代とか…家族とかそういう人や環境のせいにして悲劇のヒロインやっていた。でも本当は自分に一番怒っていた。私は無力だなにもできないなにもする資格がないそうやって自分を放棄して自分を見捨て自分を見限って蔑ろに扱っていた自分自身に。でも本当は違う。私は嫌というほど愛されてるし今までの事だってゆるされている。楽しく生きていいんだし幸せを感じてもいい。誰かの役に立つことも喜ばれる人にだってなれる。神さまはそうやって生きて欲しいと願ってくれている。その愛を信じて受け取って生きる。私が目を向けるのは辛いとか苦しいとか自分がどーとか…そっちじゃない。与えられている嬉しい事とか楽しい事とか感謝できそうな事とか困っている人に手を差し伸べるとか目の前の人とどうやったら一緒に幸せを感じることが出来るのかとか…そっちがいい。そっちを明日も選択し続ける。緑の中でぼーっとしながら美味しいカフェオレを飲みたい