思うのよ。

あの時はよくわからなかったけど、

ひとりの大人が「担任」として、40人もの生徒(子供)を相手にするのは、
とても大変なことなんだと思う。
(「副担任」というマスコットは機能してなかったし。)



いまの私と同い年くらいの先生だってたくさんいたし、
緊張やら責任やらをひとりで抱えて毎日やってたんだと思う。


あの頃はさ、
何十人もいた先生たちを、【先生】、

まるで「先生」っていう生き物がいるかのように
ひとくくりに思っていたけど、


一人ひとり違って、
自分たちと同じ人間だったんだなーって。

今になって思う。



気分屋な人もいる、
短気な人も、おっとりな人も、
子供嫌いな人だっていたと思うし、
なんで先生になったのかだってそれぞれ違うだろうし、

組織の中で自分の身を守るのは当たり前、
リスキーなことはしないに越したことはない。


相性もある、好き嫌いもある、
それは、生徒から先生だけじゃなくて、
先生たちからしても、
あったんだろうなあって。


ふと思ったのです。



めちゃめちゃ怖い先生もいたし、
今だったら「体罰」と言われそうなペナルティもあったけど、
なんて言うか、いい思い出。
なんであんなにいつも怒ってたんだろうねー、
って時々同級生と話したりします。


わたしは中高一貫だったので、先生も共通というか、
わりと長いお付き合いだったのだけど、

それでも、
分かり合えなかったり、お~い生徒のどこ見とんねん!
って先生もたくさんいたし。


担任の先生がとても好い先生だったから、
こんなわたしも清く正しく?!卒業が出来たのですが。

結果的に良い学校に通わせて頂いた。



にじみ出てると思うけど、
わたしはけっして優等生なタイプではなかったし、
けど、見てくれている先生は見てくれていた。


雑誌の切抜やドライヤー、CDラジカセ、人に借りた漫画など、あらゆるものを取り上げられたりもしたし、
(高校卒業式の日に、ご丁寧にジップロックに入れられ、押収物がそれぞれにすべて返ってきた時には笑い泣きしたけど。)
呼び出し、居残りだって多々ありました。




一度、高1の古文の授業のときに、
古語が出てきて、わたしはその言葉と、斜め前にいた おとなしいタイプのIさんの名字が似ていたから、
あだ名をつけたの。


そしたら、
授業が終わって、古文の先生に職員室に呼び出されました。

入るなり先生に、


「石井さん、あれは、いじめです。」


って言われたの。


元々わたしのことを悪いヤツだと思ってた類の先生だったのだけど、
びっくりしちゃった。




でも、
「いじめは、されたほうが、そうとらえた時点で発生してるものです。」

そう言われたし、
いきなりフィーチャーしちゃって悪いことしたな、と思ったので、
休み時間に
Iちゃんに謝りました。


そしたら、


「え?なんのこと?w」



って言われてソッコー終わった!


全然
気にしてなかった!



むしろ、
「急に授業中に、Iちゃんにあだ名を付けてみんなに発表してごめんね。」
って丁寧に説明することになった。

彼女はクスクス笑って、
おかげで少し仲良くなった。


そのことに対して先生に反撃したわけでもないけど、
そこからわたしはその先生のことがただただ何となく嫌いになった。


今思えばなんでもないことかもしれないし、
むしろ、別の見方で教えてくれてありがとう、なんだけど。


あの頃は、
ほんのささいなことで傷ついたり、
傷つけたり。


毎日毎日同じメンバーと顔合わせてる、
学校という小さ~な世界でしか生きていないから、


先生や先輩、リーダー格、
絶対的な存在があったり。


そこで起きたこと、感じたことが全てでね。

少しのミスも許されない。



だから今、中学生とかで、
死ぬことが最善策だと思ってしまっている子がいるのが、
心苦しくてならない。

そんな最善策かなしすぎる!
「最善策」なわけがない!




わたしの出た学校は、教育委員会とかPTAとかの気配もなく、独立していたけれど、
それはそれでより、先生対生徒、の小さな孤立した世界を生んでいたのかもしれない。

キリスト教、という大きな大きなフィルターがあったのでまたさらに特殊だったかも知れませんが。
わたしは信者ではないし、理解していない部分も多いけれど、
聖書を通して、
人としての在り方、を聞けたのは大きな財産だと思っています。




でも、学校なんてほんとに小さな世界。
環境は、人を形成するのに大きな影響を与えるけど、
マジデマジデ通過点。

そこを出たら、無限に広がる世界が待っている。
自分であれこれ決められる。

それはそれで怖くて大変なアドベンチャーが待っているけど、

はるかに楽しい世界なはず。




今も昔も、きっといじめはあったと思う。

けど今は、
インターネットが普及したり、みんなが携帯を持つようになって、
陰湿度は増して、されてる人はどこまでも追い詰められ、
それと同時にしてる側の罪悪感が減ってきたのかも知れない。


テレビのインタビューを見ていると、大概の親は言う、

「なんでも相談して欲しい。」

って。


でも、しないと思う。 出来ない。


子供は小さい頃から、親の顔色をうかがって生きている。

親が笑った顔が嬉しいし、泣いてる顔なんて見たくない。
(親も見せなかったし。)

そんな中で、
「いじめられています。どうしよう。」

って言える子供がどのくらいいるかな。



わたしはまだ親になっていないから、子供目線の気持ちしか経験してないけど、

みんな子供だったのに、どうしてわからないんだろう!って思っちゃう。


先生だって、
「いじめられていますって言って来なかった。」
なんて理由にならない。



でもだからと言ってケースはそれぞれだし、
こうしたらいいよ、なんて言う解決策を思いついたわけではないのです。
経験したことないのに何がわかる?と言われたらそれまでです。

世間が騒いでいる話題に触れるつもりはなかったけど、
やっぱり考えてしまうから、
記してしまいました。




自ら命を絶つ人、いじめられて亡くなる人がいなくなって欲しい。

本当に。

腐った奴らに負けないで欲しい。
命だけは守って欲しい。



生きてたら絶対にいいことがあるって!!


そう言いたかっただけ。


みんなもそうでしょ?