この前、自分の中に握りしめていた強い思いを手放し て、以前よりもかなりオープンになった自分を感じる。


でも、そこは肉体をもった人間であるがゆえ、生きているかぎり感情は勝手に湧いてくる。


それは、私の中にまだ手放せない何かがあるということなのだろう。


私は専業主婦なので、ほぼ毎日そうじをする。

もちろん、しない日もあるにやり


そうじ好き(見えるところだけ)を自負しているけれど、毎日家は汚れる。


私は、足の裏がとても繊細で、ちょっとでも床がベタベタしていようものなら親の仇のようにグイグイ拭く。


朝に拭いて夜も拭くけれど、翌朝にはもうベタベタしている床…えーん


まぁ、精神も床と同じようにすぐに汚れてしまうのだろう。

だから精神をそうじ(浄化)することが必要になる。


ほったらかしにすると、そのうち限界を超える。



ウチの娘は思春期まっただ中。

パパのお風呂の後には、入りたくないぼけー


彼女は(私に似たのか)忘れっぽいので、早くお風呂に入らないとパパに入られることをいつも忘れてしまう。

そして、パパが先にお風呂に入ると、悔しがって泣く…えーん


何度も、パパより早くお風呂に入るために、早くご飯を食べ終えたら?とか、帰宅してすぐにお風呂洗っておけば?とか、アドバイスをしていたけれど、いつも覚えていない。


忘れるくらいなら、それほど深刻ではないのだろうと思っていたら、そうでもないらしい💧

仕方ないので、私が彼女が帰宅してからお風呂のことを忘れないで、時間を逆算して行動しなさいと何度か声かけをした。


その結果、めちゃめちゃ久しぶりに娘は一番風呂に入ることができた。

娘の希望が叶って良かったねという私に、彼女が「私がお風呂を洗ったのだから当たり前だよ!」と言うので、私が声かけしなければいつも忘れることと、自分だけで出来ることは限られているよ、ということを伝えた。


私はその時、感情はフラットだった。

自分が思ったことを、なんの感情をのせずに相手に伝えられた。



日中100均に行った時、私は店の奥にあるフロアシートが欲しかった。

手前に品出ししている店員さんがしゃがんで作業をしていたので、そこを避けつつ奥に進んだ。


しかし店員さんが髪を後ろでまとめていたクリップに当たってしまって、私は「すみません」と言ったけど、店員さんは無言だった。

私は、傷つくというほどではなかったけれど、心にモヤっとしたものが残ったので ”ホ・オポノポノ” を心の中で唱えながら店を出た。


大した出来事ではなかったけれど、何度か ”ホ・オポノポノ” を唱えてやっと自分の中がクリアになった。


あんなに苦しい自分の中の思いに対峙してやっと手放しをしたばかりなのに、こんな些細なことでザワつくんだな〜と気落ちしたけれど、真未さん もクリアリングと手放しは生きている間はずっと続くと言っていたから、”上がり” はないのだろう。



私が軽くなると、私を取り巻く人からの愛をちゃんと受け取れる。


近くに住む叔母は一人暮らしなので、食材が余るからと時々私にお裾分けしてくれる。

お取り寄せも大好きなので、高級フルーツをよくもらう。


一昨日、移動販売の無農薬野菜の八百屋さんで、しこたま高級野菜を私に買ってくれた叔母。

そして、今日は宮崎産高級マンゴーをお裾分けしてくれた。


以前の私は、母から吹き込まれた叔母のネガティブな面ばかりをみて、私に世話を焼こうとする彼女の気持ちを受け止めることを拒んでいた。

彼女が電話してくると、何のようですか?的に露骨に嫌な対応をしていた。


今から振り返ると、とても失礼な態度をしていた私…ガーン

私が叔母のネガティブな面を見て(それは母の思いを投影して)いたから、彼女も親族の悪口をよく言っていた。


彼女はちょっと愛が重いタイプなので、今日も私が無事に帰宅したかの電話をかけてきた。

それも、心配してくれてありがとう、と思えた。

アラフィフのおばさんが夜道を歩くのを心配するなんてとも思うけれど、彼女は私を心配することで愛情を表現したいんだと感じた。


エイブラハムもよく言っているけれど、自分がどういう在り方でいるかによって、自分の周りの世界が変わるということを実感した今日。

明日もお家の床と、自分の中もキレイにしていこう♪🌿✨