前回のmami's club のシェア会 で、自分の ”傷つきたくない” 思いに気づき、翌日の真未さん のライブ配信の瞑想で、その思いを癒やして手放すことが出来た。
それ以降、本当に自分の心の中が静かで、以前真未さんの東京ワークショップでやったエネルギーワークでの 《自分の奥底にある静寂の湖》を感じる。
だから、夫が朝からパソコン障害でキレ気味でも、私はその怒りに引きずられない。
叔母が、親族のことでデリカシーないことを言っても、怒りは湧かない。
今日のmami's club のシェア会で、自分と向き合うにはどうしたらいいか?という話になった。
私はその時、あんまり適切なことを言えなかった気がした。
私は、昔のことを覚えていないタイプなので、自分がどうやって ”自分と向き合う” をやってきたのかを、思い出してみた。
まず最初に私が鬱になったのは、子供が3歳の頃で、リストラが起因だった。
魂の抜けた状態で専業主婦をやりながら、子育てに専念した。
この頃は、ママ友でアートセラピーを勉強している人がいて、ちょこちょこワークショップを受けて自分の気持ちを感じるセラピーを受けていた。精神に引きずられて、喘息がひどくなり病院通いばかりしていた。
子供が小学生の頃は、日常生活は普通におくれるようになり、派遣の仕事をパートでしていた。
流産もしたけれど、また授かるよねと軽く考えていた。
40歳前に、2人目の子供を産むならタイムリミットだと不妊治療をはじめてからの流産をして、2度目の鬱状態になった。
ちょっとこれはもう自分でもヤバいと思って、yukari先生 のワークショップを受けに通った。
yukari先生のワークショップは、ヨガ哲学を素に独自に構成されていて、ヨガで身体を動かしたりマントラを唱えたり、【思考を止めることと、自分を俯瞰する】練習をしていたと思う。
そこで、鬱状態から抜けることができた。
その後は、ちょっと変わった思想集団にハマり、セミナーを受けまくってお金を使った…
セミナー内容は興味深いモノだったが、セミナーを朝から晩まで3日間受けて、次は海外のセミナーで1週間の参加費が目ン玉飛び出る額だったので、やめた。
その後、2・3年前に谷田先生 のオンライン瞑想会に参加して、【瞑想で自分を俯瞰する】術を身につけ、【自分の気持ちを表現する】練習を参加者の前でシェアすることでだんだんと出来るようになった。
谷田先生と平行して、1年前から真未さんのライブ配信にも参加しはじめて、今は真未さんのmami's clubだけに参加している。
自分と向き合う瞑想と共に、5年前からフラメンコを踊っている。
これはアートワークの時に、自分の中にある ”踊りたい気持ち” を知ったから。
3ヶ月前から、参加しているたーきー 朝活も、私の中での 【自分の身体への信頼と、自分の身体がレベルアップする可能性】 を感じた革新的なモノだ。
なんだかこうやって書き出して見ると、私めちゃめちゃ足掻いている。
お金も時間も使って、遠回りもしているし。
子供が産まれてからの、”自分が思い描いた理想の人生と、現実とのギャップ” に、溺れて死にそうになったけれど、どうにかこうにかやってきた。
鬱を脱した段階で、自分と向き合うことはやめても良いと思った。
普通に、日常生活は出来ていたから。
でも、やめなかったのは、10歳くらいの時に感じた ”死にたい” が、肉体的な ”死” ではなく、自分の感情・思考によって大きく揺れ動く苦しみから抜け出たいということだと感じていたから。
その当時は、”即身成仏” になりたいと思っていたけれど、今から思うとソレは ”さとり” を得たいと同意だったと思う。
自分が同じところをぐるぐる回っていると感じているた時は、徒労感がひどかった。
自分の握りしめている思いに気づいた時も、その思いを手放す ”恐怖” を感じた。
私を守っている鎧を脱ぐのが、怖かった。
でも、その恐れの先にある『魂の自由』を、私はずっと求めていたから。