スピリチュアル的な考え方では、自分以外の人をみてその人の問題だと感じることは、自分の中にあるものが投影した結果だ。
だから、向き合うのは自分の中。クリアリングするのも自分の中。
私は、けっこう好き嫌いが激しくて、嫌いな人は本当に受けつけない。
表面的には社会人として失礼のない対応はするけれど、心の中では巨大な壁を作っている。
私は、特に主義主張があるわけではないけれど、あまりにも自分に手をかけない人や、逆にかけすぎている人、美しいと感じられない人、人によって態度が変わる人、不誠実な人、と数え上げればきりがないくらい、嫌いな人がたくさんいる。
反面、家族と同じくらい、あるいはソレ以上に大切に思う人たちも、たくさんいる。
私が出来得る限りのサポートをしたくなる人たちが、周りにたくさんいる。
本当は、地球上すべての人たちと心を通わせたいけれど、私のキャパシティがまだそこまで許容できない。
真未さんのオススメ本を読んでいると、自分の中の神聖さに気づいていきなさい、みたいなことがよく書かれている。
そういう本を読んでいると、読んでいる時はそのエネルギーの高い内容に高揚するので、自分も出来るような気がするけれど、いざ普段の生活をはじめると、ちょとしたことにイラついて、嫌いな相手を睨んでしまう私がいる。
聖書の冒頭に出てくる、”人間は、生まれながらに罪を背負っている” という文章をはじめて読んだ時に、「ふざけるな!」と憤りを感じたけれど、今はとても納得できる。
私は頭では、”みんなでお互いを尊重しあって生きていくのが理想” とか言っておきながら、心の中では、自分の意にそぐわない人を嫌悪して、排除している。
それに気づいた時、ちょっと自分に吐き気をおぼえた。
でも、最後まで真未さんのライブ配信を聞いていて、自分が見たり聞いたりした人のことで嫌な感情が自分の中に湧いたら、ホ・オポノポノでクリアリングすればいいよ、というアドバイスで救われた。
人を見て嫌だと思っているのは、まだ私の中が整っていないだけ。
自分の中の未処理の嫌な何かが、目の前の出来事に投影されているだけ。
鬱の時に、手当り次第に良いと言われれる方法を試した。
ホ・オポノポノもやってみたけれど、疑い半分でやっていたので全然効果がなかった。
それをやる意味。
その言葉によって、自分にどう影響するのかをきちんと理解してやると効果が違う。
目の前の嫌なことにばかり気を取られていると、自分が本当は何をしたいのかを見失う。
嫌なことは、生きていれば大なり小なり起こるもの。
自分がやりたいことに向かって進めるように、なりたいもの、欲しいもの、行きたい場所を目につくようにするといいよ、と真未さんが言っていたな。
エイブラハムの『願えば、かなう』にも、”魔法の創造の箱” というワークの章があるよ。
好きなこと、やりたいこと、好きなモノ、住みたい家、なんでもお気に入りの写真を箱に入れていく。
自分の願望をビジュアル化して、願望を強くして、それに抵抗することを小さくしていけば、その願いの波動に近づくから現実化される。
昔つくった ”ドリームマップ” に似ているな。
ドリームマップは、たくさんの雑誌から自分の好きな写真や言葉を切り抜いて、大きなスクラップブックみたいに貼り付けていくもの。
当時は、私は魂が抜けたように生きていたから、自分が何を好きなのかが分からなかったから、ドリームマップは自分を取り戻していくステップとしては、とても簡単だけど効果は大きかった。
あまりにも叶えるのが難しいものから始めるとハードルが高くなるから、ちょっと頑張ればできそうなものをビジュアル化してみよう♪
スマホの画像検索アプリでは、好きなもの集めをしているけど普段なかなか開かないから、私はやっぱり ”魔法の創造の箱” を作ろう🌿