昨日、隣のおじさんを久しぶりに見かけた。

衰えっぷりが、激しかった。


彼とは、何年か前に一緒に自治会をやって激しい喧嘩もしていたので、とても衝撃を受けた。

当時は、恰幅もよくバブル時代の価値観を引きずったままの、”ザ・おやじ” だった。


彼の独善的な価値観に、よく肚を立てて喧嘩をした私。

どんなキッカケだったかは、忘れてしまったけれど。


私って、やっぱり昔から怒りっぽかったんだな〜としみじみ思った。

最近は、そうでもないと思っていたけれど…


自分は、何に対してそんなに怒るんだろう?と、最近キレたことを思い出してみた。

そうしたら、”自分の人間としての尊厳” を踏みにじられると感じた時に、私はキレている。


瞑想した時の『自分が光に満ちていて、至福の存在』だと感じていられたら、誰に何を言われても傷つけられたとは思わないだろう。

その整った状態から離れているから、怒りが湧く。


今回は、特にずーっと鬱々とした状態の友達が絡んできたので、なおさら嫌だった。

「人に絡んでないで、自分に向き合えよ!」と思った。


私が最近親しくしている友達は、みんな昔の鬱々とした状態から抜けている人がほとんどだ。

だから、未だに鬱々している人を見ると、ちょっと腹立たしい。


「ちゃんと自分に向き合って、早く自分らしく生きろよ!」という思いがこみ上げる。

でも、そういう人たちも、自分では何とかしたいとモガイている。

本当は、自分がそこにいたいから抜けられないんだということを、たぶんどこかで分かっていながらソコにいる。


私の友達は、そういう拗らせている人にも優しい。

性格の違いなんだろう。


でも、かつては私も拗らせている人で、周りにネチネチ絡んでいた。

そんな時、周りの人たちは苦笑いしながらも、優しく対応してくれていた。


私が過去に放った負のエネルギーが、今回自分に戻ってきたとも思える。

よく、真未さんもエネルギーの循環だよと言っている。


私は、拗らせている人には、できるだけ関わりたくない。

負のエネルギーに、巻き込まれたくないから。

拗らせちゃんは、表情が固くて暗いし、目にも楽しくない。


でも、この世の中には、自分に都合のよくない嫌なことも起きる。

それらを、どう受け取るかは、自分の問題だ。


迷った時は、真未さん オススメの本を読む。


今日は、『サラとソロモン 』。


私の欲しい、嫌なこととの対峙のヒントがたくさんあった🍀

人との関わりは、共鳴引力。


負のエネルギー:苦しみの連鎖、それを選択しなければいい。

自分の心地よい方を、意識して選び直す。


今回、私が負のエネルギーに引きずられてしまったのは、私の問題。

まだまだ整っていない自分を確認できて、良かった。

自分の心地よさに意識を向けて、周りがどんな状況でも、本来の私のまま生きていけるように。


『サラとソロモン』では、”ハートを開く” って言っていたよ♪

私が、自分らしく心地よくご機嫌で生きていたら、それが周りの人たちにも ”共鳴引力” となるから、みんながハッピーになる❤