まみさん のワークショップから、もう3日も過ぎている。


時間の流れって、やっぱり一定ではないと感じる今日このごろ🍀


ワークショップでの、”母の想いが、私の人生に大きく影響していた” という、衝撃の気づき。

”くさいものには蓋、嫌なものは見ない、見えないモノはないもの” という信条で生きてきたけど、やっぱり深いところにはあったのね〜


母からの想いが、自分に絡みついていたのに気づいたら、父の想いも、私に絡んでいるのにも気づいた。


私の父の家庭は、ちょっと複雑だ。

父の父、私の祖父は、父の母(祖母)を追い出して、新しい女性を連れてきた。

父の兄弟は、父を含めて5人いた。

父の母は、長男・長女・三男を連れて家を出た。

父(三男)と次男が、祖父の家に残されて、新しいお母さんと生活することになった。


父の家庭の事は、父の口から私が直接聞くことは、あまりなかった。

いつも母が、ポロッと口にする事から想像していた。


最近、父が自分の半生を私小説風に書いて、出版社の応募作品として送ったものを読ませてもらった。

そこには、読んでいる私が辛くなってしまうほど、自分の父親に対する愛憎が込められていた。


まぁ、普通に考えたら、平穏で幸せな家庭環境とは言えないだろう。

去年亡くなった叔父(次男)は、お酒に酔うといつも自分の母への想いを口にしていた。


叔父が20歳の時に、義母が妹を産んだ。

義妹は可愛かったけど、複雑な心情だったそうだ。


兄弟間でも分断があったので、その後の関係にも影響があったようだ。

祖母側の兄弟は関西に、祖父側の兄弟は関東に。


複雑な家庭環境のせいか分からないけど、叔父たち2人(次男と三男)は未婚で人生を終えた。


父は、母と友人の紹介で結婚したそうだけれど、お互いが好きで結婚したかどうか分からない。

父からは何も聞いたことはないし、母は「海外に行きたかったから、結婚したのよ」と聞いていた。

(父は、商社で貿易の営業をしていて、結婚後すぐにインドネシアに駐在することが決まっていた)


私が小さい頃は、父は海外出張でほぼ不在。

小学校の運動会で、父が来たことはない。


私が小学校3年生の頃に、父の努めていた会社が倒産して、父は自分で会社を起こした。

母が父の会社の経理を担当し、一緒に働き始めたので、家でよく夫婦ケンカをするようになった。


父は、激怒すると別人格のようになるので、恐ろしかった。

両親のケンカは、激しくていつも離婚する!と言っていたので、私はどちらについて行くか考えた。

(父は家事ができなかったので、私は父について行く腹積もりだった)


両親の不和は、一時的に激しくなったけれど、ピークを超えたら落ちついて来た。

落ち着いたと言っても、仲が良かったわけではない。


両親が愛し合っていないと感じると、自分の存在が不確定に感じる。

私って、存在していいのかなって、不安になる。


両親が共働きで、学校から帰宅しても家に誰もいないことが多かった私は、夕方からやっている大人向けの2時間ドラマを見て過ごす子供だった。

ドラマというのは、ストーリーがデフォルメされて凝縮したものを楽しむモノだから、ドラマティックに物語が描かれている。


特に、昭和のドラマは性もセキララに描くので、父の家庭環境もあいまって、未熟な私は ”男女間に本当の愛なんてない” という思いがすりこまれた。

母は私に、父が海外で風俗に行くことなども言うので、性とはそんな軽いものという認識になった。


そんな歪んだ認識が、すりこまれた私。

結婚してからも、夫婦喧嘩をすると「あーほらね。やっぱり男女関係なんて、すぐ壊れるもんだよ。」と思ってしまう。


性 交も、愛し合っているからする行為という認識がない。

ただ、やりたいからやる。

3大欲求の一つだと思っていた。



でも、まみさんのワークショップで、まみさんが言った「人は、愛し愛されたい」って言葉が、時間の経過と共に心にしみてきて、父も母も、私も、本当はそれを求めていたんだなって感じられて、なんだかすごく泣けた。


「愛し、愛されたい」のに、その想いを満たせなかったから、すごく傷ついてたんだな〜。

父も、いまだに発作的に激昂する時があって、母は恐怖を感じるそうだ。



みんなが、傷ついた心が癒やされて、愛に満たされた日々を感じられるようになるといいな♪🌿