【拡散】新・世界は日本をどう見ているか 自虐史観からの解放 - YouTube

 

 

上の動画は自虐が解ける動画である。

 

この中には皆さんも知っている話や初めて聞く話もあり、最後まで見るとグッと込みあげてくる場面もある。

 

そして動画の最後にパル判事が出てくる。

 

パル判事は東京裁判で、日本は侵略国家ではないと言い、侵略植民地支配してきたのは白人だったと言い切った。

 

白人達は自分達が数百年も侵略を繰り返してきたことを無かったことにするため、東京裁判で日本を侵略国の極悪国家にした。

 

これが最強の日本軍への復讐を兼ねた東京裁判であった。

 

しかし日本が戦勝国であったら敗戦国を軍事裁判にかけるようなことはしなかったであろう。

 

なぜなら日本人の心や精神は白人やシナ人と全く違うからである。

 

昭和17年3月1日、スラバヤ沖海戦で我が艦隊は英・米・蘭・豪の連合艦隊に遭遇し、15隻の連合国艦隊のうち11隻を撃沈して、4隻が逃亡した。

 

この時、日本の駆逐艦は沈没した英国の重巡洋艦から投げ出された乗組員376名を救出した。

 

そして帝国海軍は沈みゆく敵艦に対し「敬礼」の号令が下され、全員で敬意をして沈む敵艦を見送った。

 

その翌日、日本の駆逐艦が英国の駆逐艦が沈没して漂流しているところを発見、艦長は救助命令を下し、敵兵400数十名を救助した。

 

この時、救助命令を下した艦長は幼い頃から祖父母から聞かされていた『上村将軍』の歌を思い出した。

 

蔚山沖(うるさんおき)の雲晴れて 勝ち誇りたる追撃に 艦隊勇み帰る時

身を沈め行くリューリック 恨みは深き敵なれど 捨てなば死せん彼等なり

英雄の腸ちぎれけん 「救助」と君は叫びけり

 

そして艦長は救助した敵兵に対して「諸君は勇敢に戦われた」と言って名誉あるゲストとして迎え入れた。

 

日露戦争では、旅順攻防戦に勝利した乃木大将が敵将ステッセルを水師営に招き、互いの勇戦を讃え固い友情で結ばれた。

 

東郷平八郎大将は日本海海戦の勝利5日後、捕虜となった敵の司令官ロジェストウェンスキーを佐世保の海軍病院に見舞った。

 

東郷司令官は「困難な大遠征の成功は見事で、最後までよく戦われた」と、その勇戦さを讃えた。

 

それに対してロジェストウェンスキーは感激して返す言葉もなく、涙ながらに「このような名将と戦い、敗れて悔いなし」と言った。

 

 

日本人は敵将を裁判にかけるのではなく、敵将であっても戦い終われば互いに理解し合い、尊敬して和した。

 

日本の軍人は本当に強かった。強いからこそ敵兵も受け入れる精神があったのだ。

 

これが日本の大和心であり、日本の精神であり、本当の平和を愛する姿である。

 

しかし「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」の如く、日本人が本気で怒ると本当に強かった。