今日は山登りがてら、

空海さんのいらっしゃるお寺へ参拝してきました。

ちょこっと登ると、林の中にお寺があります。


境内に到着すると

故人の供養の法要が行われていて、

久しぶりに本堂の中をまじまじと拝見させて頂きました。

(※こちらのお寺は通常は本堂の扉を閉めていて、

法要やお盆の時期だけ開放されています。)


空海さんは仏教を日本に広めた僧侶です。

ご実家は、良いところのエリートみたいな

出自の方ですが、

早い段階から仏教の道を歩み始めます。

(私のゆるゆるな知識ですみません…。)


こちらのお寺では

大きな梵鐘(ぼんしょう)をつくことが出来ますので、

いつも私はこちらの梵鐘を

有り難くつかせてもらっています☺️


大きければ大きいほど深く低く響く、

綺麗な音が出ます。

梵鐘は本来、僧侶や関係者の方がつくので、

一般人がつけるところは

そんなに多くはないかと思います。


心のモヤモヤを鐘の音で祓ってくれますので、

一般人がつける所では

つくことをオススメします🍀


梵鐘の前で手を合わせ心に音を響かせていたら、

ふと、自分の中にある

嫉妬や妬みやひがみと言った感情の苦しみから

どうしたら解放されるのだろうか?

という問いに対して、

とある答えが返ってきました。


『無の心』。


なんのこっちゃ?ですね(笑)


でも、空海さんからその答えが返ってきたのです。


本堂でのご挨拶を終えて梵鐘をつき、

静かに音に意識を集中し、

ふと浮かび上がった問いに対しての

空海さんからの答えです。


帰り道の参道をてくてく下りながら、

空海さんに話しかけてみました。


人が苦しみから解放される為に必要な、

『無の心』とは一体何なのでしょうか?と。


空海さんに色々話しかけてみると、

ある一つの答えが浮かび上がりました。


『あるがままの心』です。


これはどういう事かと言うと、

苦しいとか悔しいとか羨ましいと思う心は

その人自身の゛価値観や思い゛から生まれています。


人は生きていく中で

自分の置かれた環境から価値観を生み出し、

価値観の中で生きています。


例えば、

人間は庭に生えた雑草が邪魔だと思って草を抜きます。

でも草は、風にその身を任せて

たまたま着地した庭の土の上で息吹きます。


そこは人間の家の庭ですから、

人間が邪魔だと思えば抜かれてしまいます。


でも草は、抜かれてしまうからと言って

人間の家の庭に着地するのはやめよう!とは思いません。

その身を風に任せたら、どこへでも着地するのです。


自然の恵みである雨から水を得て、

太陽からエネルギーを頂きます。


あるがままなのです。


人の心も本来、あるがままな筈なのです。


でも人には特別な感情があって、

思い悩んで生きています。


良いことも悪いことも

自分が価値観で決めているのであって、

本来は自然の成り行きですし

あるがままです。


『無の心』とは

感情を動かさないとか何も感じない心

という事なのではなく、

『あるがままの心』であるという事なのです。


良いことも悪いことも起きるし、

それを含めて゛人間の人生゛である

という事に気づけると、

思い悩むことはぐーんと減るのでは

ないでしょうか?


人と比べる事もなく、あるがままの自分という

自分の内側へ意識を向けていれば、

他人を気にすることもないのかと思います☺️


空海さんってやっぱりすごい!!


今回も色々教えて頂けたありがたい参拝でした🍀