スーパー銭湯のマッサージ屋で働き出してから特に違和感が大きくなっていった。
足つぼマッサージはまだ良かったが、全身のマッサージとなるといくらもみほぐしても癒せている感覚がまるでなかった。
お客さんはみんなガチガチで、もっと強めで揉んでくれと言う人が多かった。
どれだけ体重を乗せて思いっきりもみほぐしても
「強めって言ったわよね!!」
と見た目大仏のような女性に怒られた事もあった。。
みんな本当に身体がガチガチな人が多かった。
そんな方々を触れているうちに、自分自身が不調になってきている事に氣づいた。
その原因は直感的に分かっていた。
非常に疲れているお客さんを触れるたびに、まるで重たい何かが自分の中に流れ込んでくるような感覚になるのが分かった。
このまま続けていたら自分自身が倒れてしまうと思い、エネルギーを学びたいという氣持ちが強くなっていった――
そんな思いを持ち続けながら色々と調べたりしていたとある日、何の用事だったか忘れたが大阪で小さな布団屋を営む叔母のところへ家族で行く事になった。
叔母には子供がいなくて、姪っ子甥っ子であるぼくたち4人をとても可愛がってくれた。
ぼくはその "大阪のおばちゃん" が好きだった。
めったに会えないが、明るくて面白くて、クリスマスになるとプレゼントをくれたり、お正月にはお年玉を他の親戚よりも多めにくれたり、子供ながらに数年に一度大阪から豊橋の家に泊まりに来る時は嬉しかった♪
今でもあの福のある笑顔を思い出すと感謝が湧いてくるよ🙏✨
その叔母のお店の近所に、パワーストーンを作っているという叔母の顔馴染みの仏壇屋さんがあり、その当時パワーストーンに興味があったので行ってみる事にした。
お店に入り挨拶をすると仏壇屋さんの奥さんに突然
「あなたには北斗七星の輝きがあるわ」
と言われた。
ぼくは子供の頃に北斗の拳というアニメが大好きだったので、北斗七星の輝きといわれて嬉しかったのを覚えている。
同年代の人ならわかると思うが、今でもぼくの理想系はめっちゃおもろい「トキ」だ(笑)
あ、でも病氣もちはヤダわ😂
仏壇屋のおばさんが棚から何かを出し、あなたにはこれが合うよと見せてきた石はラピスラズリのネックレスだった。
とても美しいインディゴブルーにところどころ金色が入っているそのラピスラズリは勾玉の形をしていた。
「あ、これください」
と氣がついたら言っていた。😆
初めて買ったパワーストーンに嬉しくなった。
これから宜しくねーと話しかけてから首にかけた。
そして仏壇屋さんの奥さんに、パワーストーンの浄化方法を教えてもらおうと聞いてみた。
水道水でもいいから水に流したり、セージなどの煙だったり、月光浴も良いよ。
と教えてくれた。
あ、これでもできるよーと、おばさんは石を両手で包むポーズをしたり、左手の平に石を乗せて、右手を20センチくらい上からなでるように回していたりした。
え?それは何ですか?
「レイキだよ、これでもできるんだよ」
このエネルギーは、地球の裏側にも届くんだよ。
石以外のどんなものにも、植物にも、飲む水にも、体はもちろん心にも、魂にも、ね。
動物なんて特に敏感だよ。
と、優しく教えてくれた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が強く反応した氣がした。
これだ!!!!
そう感じたぼくはもっと詳しく知りたくなり
、氣づけば夢中で話を聞いていた。
聞くところによると仏壇屋の奥さんがやっているエネルギーワークは大阪や奈良で学べるらしく、そしてぼくもやると即決した。
それはいわゆる “日本でメジャーな臼井式靈氣” とは少し違っていた。
ヴェーダの叡智を元にしたヒーリング法らしく、初代サイババであるシルディ・サイババの流れからのエネルギーワークだった✨👳
なのでヒンドゥー系の話が多かった。
ぼくはなぜか10代後半くらいの頃からインドにはまっていた事があるので、そのヴェーダのエネルギーワークもすんなり受け入れられた。
それから数週間後、大阪で開催するワークに初めて参加した。
エネルギーワークのそういった「会」みたいなのは初めてだったので、知り合いが全然いない不安よりも、これからエネルギーヒーリングを学べる期待の方が大きくてワクワクしていた♪
会場に着いたらすでに女性陣たちが講師の男性を取り囲んでいた。
ぼくは近づき講師の先生の顔を見た瞬間びっくりした。
中学の時のバスケ部の暴力監督にそっくりだったのだ!
そっくり過ぎて先生と対面した時にその当時の恐怖のトラウマが一瞬沸き上がってきたが、顔はそっくりだが中身が真逆で内側からあふれる大きな愛にすぐに惹かれた💖✨
知り合いは仏壇屋さんの奥さんだけだったが、そのワークはとても和氣あいあいで楽しく、ヒーリングやエネルギーの事をたくさん学べた。
そのワークは2日間あり、2日目はアチューメントといってエネルギーを扱えるようになる回路を開いてもらうワークだった。
その夜大阪で泊まったぼくはレイキといえば鞍馬山だと思い、よし!明日は一人で鞍馬山へ行くぞー♪と、使えるようになったばかりのエネルギーを先祖と守護霊に送り眠りについた😴
鞍馬山に着いたぼくは、京都の街とはまるで違う空氣に包まれた感覚になった。
思わず立ち止まり、深く息を吸いたくなり何度も深呼吸をした。
なんだここは…
山自体は決して大きくはない。
それなのに、清らかで、どっしりとした力強さがあり、まるで山そのものが静かに鼓動しているように感じた。
その時、強めの風が吹いた。
風の匂いというか、空氣感がどこか懐かしさがあり、しばらく麓でゆっくり感じてみる事にした。
ぼくは子供の頃から、なぜか義経と弁慶に惹かれていた。
うろ覚えだが、義経と弁慶で有名な五条大橋の出会いの場面を小学校低学年の時に学芸会で高学年が演じ観ていた覚えがある👺
義経が子供の牛若丸の頃に修行した山かーと、しみじみ味わっていたら麓でゆっくりし過ぎて余り時間が無い事に氣づき、義経の説明文なども途中で読むのをやめて駆け登っていった。
あまりの清浄感に感動しながらも足取りは妙に軽く自分でも驚くほど疲れもなく駆け上がり、あっという間に上のお堂に着いた。
話には聞いていた六芒星🔯の上に一応立ってみると、何かがチャージされた氣がした。
そしてとても氣になる場所があり近づいてみると、霊宝殿という博物館で入館し、奥に進むとご尊天様が祀られていた。
ここだと思ったぼくは前日に使えるようになったばかりの靈氣を使い、ご尊天様の前で感謝の祈りを送り続けた。
これまでの全てが胸に込み上げてきて、ただただ今ここでこうしていられる事に感謝を送らずにはいられなかった。
観光客の外国の方々が不思議そうにこちらを見ているのが分かったが、そんなことはどうでもよかった。
ぼくはご尊天様の前で座り祈りつづけた。🙏✨
しばらくすると誰かに肩をトントンと叩かれた。
「そろそろ閉館です」
係員の方だった。
え?もう?
時間がなかったとはいえ、14時頃に入ったはずなのに、氣づけば二時間くらい祈っていた事になる。
時間の感覚を完全に超えていた時間だった。
こうして初めての鞍馬山は、靈氣が降りた場所や、貴船神社などにも参れずに、感謝の祈りを捧げに行っただけになってしまったが、不思議と満足感に満たされていた。
そしてその日は京都駅近くの安いカプセルホテルに泊まった。
一人が横になれるだけの狭いカプセルベッドの中で、寝るギリギリまでまた靈氣を使い、神様や宇宙や先祖や守護霊などに感謝のエネルギーを送り続けた…
いつの間にか眠りについていたぼくは、氣付いたら高い山のちょっとひらけた丘みたいな場所に立っていた。
時間的には夜だった。
満天の星空を見上げていると、数十メートル頭上に大きな円盤型の宇宙船が現れた。🛸
それはそれは大きく、ところどころに窓があり、金色のライトのような光が等間隔に輝いていた。
✨✨
わぁー♪とぼくはその美しい宇宙船を見上げ眺めていると、宇宙船のドアがパカっと開いた。
その瞬間金色に輝く小柄な宇宙人たちがぼくをめがけてブワーッ!!と飛んで近づいてきた🛸✨👽✨👽✨👽✨
百人くらいいたのか、金色の宇宙人たちがぼくの目の前ギリギリまで迫ったその瞬間、はっ!と目が覚めた😳
夢!?
寝起きのボーっとした感覚もなく、とてもリアルな出来事に感じられたぼくは
応えてくれた!と受け取り
応えてくださりありがとうございます!
😭✨✨
と宇宙へ感謝を送った🙏✨🌌
祈りが届いた事が本当に嬉しくて、
ただただその想いだけが胸いっぱいに溢れていた。
翌日、不思議な感覚も覚めやらぬまま、電車で帰路につく途中に友人から電話がかかってきた。
「何やっとる?ちょっとステレオ見に行きたいで電器屋に行こまい」
地元に着き男二人で並んで電器屋に入ると、友人は家電のオーディオ売り場へ行き、ぼくは足がサクサク勝手に真っすぐに進み、店内の端まであっという間に着いた時に固まった。
なんと電器屋の端にはゲーム売り場があり、入り口にPS2のゲームソフトが表紙を向けて20枚ほども並んでいたそのゲームの名はーーー
【義経英雄伝】
その瞬間、思考が止まってしまった。
ぼくはゆっくり手を伸ばし、ゲームを手に取った。
…980円て。
もう一度、目を疑った。
売り場の正面に20枚くらい表紙を向けて並んでいたので、当然のように出たばかりの新品のゲームだと思い込んでいたからだ。
ぼくは考える事もなくすぐ買っていた。
鞍馬山では時間があまり無かったので、義経の説明書きなどを少ししか読めなかった。
なのでこのゲームのお陰で義経の歴史がとてもよく分かってしかもめちゃめちゃ面白かった!
弁慶の最期、義経を逃がす為に仁王立ちで全身に矢を受け、立ったまま昇天するシーンには思わず泣きそうになった。。
靈氣を伝授されてからの、たった2日間で起きた出来事だった。
義経と弁慶になぜこのような不思議な縁があったり、惹かれたりしていたのかは後ほど分かる事にもなる。
夢でみたあの場所も…
このようにぼくは目に視えない何かに導かれるように、その道へと着々と歩みはじめていた。
つづく
