かぐや姫の物語 を観た。

ジブリ映画だ。


私はジブリ映画を観ると、

生きることの根源に立ち返ることができて

恋する気持ちを思い出すこともできて、

自分を整えることができるので、

定期的に観ている。


かぐや姫の物語も、

ジブリ映画らしいな、と思う内容のもので

さいごには涙したし、面白かった。

衝撃だったのは、

美しい高貴の姫と噂されるかぐや姫に

高貴の身分の男性が何人もおしかけるが、

みんなかぐや姫の顔も知らず、性格も知らず

ただ噂だけでプロポーズしているということ。

それもものすごく本気で求婚していて、

中にはかぐや姫の要求に応えるため、

誤っていのちを落とす人もいる。


そんな世の中に比べると、

現代は相手の顔もなにも知らずに

好きになったり、結婚することは

起こらないし、

実際、顔も見て知ってる人に恋をしたならば

それは疑いようもない恋心だと思う。


顔の見えない恋心は、

わからないからこそ、刺激され

燃え上がる部分もあるのかもしれない。

対して、

顔も、性格やら条件やら

情報が多すぎると、

せっかくの恋心がくもって自分でも

わかりにくくなったりするのかもしれない。


平安時代のようにとはいかないが、

恋心を確かめる時、

いろんな情報をあえてシャットアウトして

自分の心に聞いてみたら、

真実の自分の気持ちに気づくことが

できるのかもしれない。



コクリコ坂から はジブリアニメで、

宮崎駿の息子さん、吾朗さんの監督作品だ。


観ていて印象的だったのは、

昭和初期の言葉づかいが、

明快であって、

会話もとてもストレートでシンプルだと

感じたことだ。

すごくそれが心地よく、気持ちがよかった。


現代は、

言葉の取り方が

とても複雑になっていると思う。

言い方ひとつとっても、

変にとられないよう気を遣ったり、

ポリコレにひっかからないよう

工夫したり、

あんまり物事をストレートに言わなくなっている

と思う。


そういうところが、

違っていて新鮮に思えた。


高校生の恋愛も描かれているが、

主人公のメルが、

男の子に告白するシーンも、

すごくストレートで気持ちよく、

相手に期待せず、

自分の思いをそのまま伝える

というところが

シンプルで率直で

いいなあと思えた。


今の時代と違うと感じるのは、

みんなどこか自分の軸がちゃんとあると

感じること。

ブレてないというか。


そういうのを自分にも取り戻して

いきたいと思う。

今年から九星気学の占いなどで、

より人間関係がはっきりする。

切れるべきものは切れる、

みたいな話をきいていて、

私は人間関係も順調で、

周りにそんな変な人もいないしと

思っていたが、考えると

若干むりをして

つきあっている同性の友人がいた。

その人はスノーボードの友達で、

スノーボードシーズン以外は全く連絡を取らない

間柄で、

年末に一度一緒にスノーボードに行ったとき

若干仲良くなることに抵抗を感じた。

それというのは、

学生の頃にあったような

変な女子同士のしがらみ、

べっとりした

依存関係みたいのが

生じそうでいやな気がした。

スノーボードシーズンにか連絡しない間柄なのに

そんなふうに気をつかわなければならないのが

嫌だった。

スノーボードというのは

交通手段がなかなか大変で、

スキー場も行きにくい場所にあったりするから

車のない都市部の生活者は

友達がいないと、なかなか不便だったりする。

車で行けば、交通費を折半できるから

乗り合わせでいく文化があるが、


最近その人と2人で車で行ったのが辛かった。

私はペーパードライバーだから、

運転はまかせるしかなく、


その人が宿泊も車も押さえたというので

自分はほぼなにもせず、

同行した形だった。


宿泊先が都市部ではなく、

周りに食事するところもなく、

車で10分とか行かないといけない。

その人は食べなくても平気という。

私はせっかくなら美味しいものをたべたい。


車でずっと一緒で部屋も一緒で

しんどいのに、ご飯もなしとかありえない。


その人は一緒にいる間中、

ほぼほぼ不機嫌で、

何か言ってもつっけんどんな答えが

返ってくる。

辛い。

こうやって書いてると、

私はその人のことが本当に好きではなく、

ただ便利だからつきあっていたのだと

思える。

向こうも私のことはたいして好きではないのだ。

スノーボードにいくのに良いから

一緒に行っている。


なんだかそういう歪んだ関係は

おしまいになっていくのだと思った。


ありがとうございました。

さようなら。






寒くなってきて、

身体を動かさないと体温が低くなって

辛いので、散歩を日課にすることにしている。


作業に没頭していて、

ふと気づくと、狭い自分の部屋で

なんだか寂しい気分になって、

気分を変えるためもあって

散歩にでた。


歩いてても気分はあんまり変わらなくて

今日はこういう星まわりなんだな、

とやり過ごす気分でいた。


ふとスタバで、あったかい飲み物片手に

散歩するのはどうだろう。と思い、

チャイティーラテトール ホット

ミルクを豆乳に変更、

を頼んで、飲みながら歩きだしたら、

すごく幸せな気持ちに一瞬でなった。


多分寒さが心に影響してたんだと思う。

あったかくて甘いもの、は

一瞬で気持ちを変えるなあ、と思い、

こういうことでも前向き気分をコントロール

できるな、と気づいた。


最近は小説を読むのがマイブームだ。

それも、最新作を読むことにしている。

書店で平積みにしてあるものからは、

なにか気になるものがみつかりやすい。

あと、最近新幹線などで移動することが多くて、

新幹線は電波が不安定なので、

空き時間にネットフリックスなどみようと

思っても電波が不安定で繋がらないことが

多かった。

せっかくの長時間の空き時間を

いつもの音楽を聴く、以外のことに

使いたい、そんなときにオフラインの本が

便利だったので、本を読む習慣が

なんとなく身についてきた。


オフラインのよさ、とかいたが、

このハンチバックの著者、というか

主人公は重度の身体障害者で

紙の本を読むのは、身体に負担がかかりすぎて

紙の本を憎んでいるという?

電動車椅子を使用し、

自分が土地建物を所有する、

グループホームにくらす

40代の女性だ。

身体が不自由なので、身体を使った活動は

制限があるが、

このネット社会、

情報の自由という点では

健常者と変わらず、

同じようにネットフリックスをみて、

同じようにネットで情報を探し、

状態の世界では同じように生きている。


主人公の望みは、

妊娠し、中絶することだという。

生殖機能は健康であるから、

男の人と肉体的に関わり、

子を宿してみたい、

すごく真っ当で同じ40代の女性として、

考えることは変わらないと思えた。


主人公の紗花ちゃんは、

ヘルパーの男性に望みを叶えてもらって

死んでしまったんだろうか。

最後のほうが、

実際どうなったのかわからないけれど


望みがなかって命がなくなったのなら、

幸せだったのではないかと思う。


私がいちばん大事に思うのは、

自分の感性だと思う。


感性とは、

空気を柔らかいと感じたり、

人の本質を感じたり、

料理を作った人の心を感じたり、

人を好きになる気持ちが、

自分にとってどういうことかを

表現できたり、

とか、

色々なことを感じる力だ。


気持ちの振り幅が大きくて

困ることもあるけれど、


私はその感じる力を大事にしたいと思う。


感じる力とは、

ものを作り出す力の原動力となるものだ。


まず気持ちがあって、

絵なり、文章なりの表現をするから、

感じられる感情があることは

宝なのだ。


その感性について、

どんなに尊敬する人だとしても、

関与されたくは無いと思う。


自分が感じた感情を自由にさせてあげたいし、

否定しないであげたい。


自分で守ってあげたいと思う。

私の望み


あなたの感じていることが知りたい。

あなたの見ているものが見たい。

あなたの考えていることが知りたい。


日々忙しく過ごしている、

表面上のことも知りたいけれど、


会っている時間が少ないのに、

少ないからこそ、


あなたの内面が知りたくなる。

あなたの感じている空気を

感じたくなる。


あなたの周りに感じられる

穏やかな時間がとても好きだ。


おそらく、それはあなた自身が

大切にしている独特のリズムだ。


私はそこに

重なり合いたいな、と思う。



書いていて

涙が流れた

これはラブレターである。

人を好きになる気持ち。

パートナーを求める気持ち。

女性らしくありたいと思う気持ち。

おしゃれしたいと思うこと。

かわいくありたいと思うこと。

美しくありたいと思うこと。


そういう努力を置いておいて、

現状をよくしようと、

瞑想したり、いろんなスピワークを

しようとしたら、

自分にストップをかけようと思う。


長い事、

ズレた努力をしてきて、

もう、自分が悩んでブスになったり、

自分の周りに男っ気がなくなったり、

男の人を必要としなくなったりしだしたら、

危険信号だと思おうと思う。


仕事だけに走ったり、

制作だけに逃げたりもNGである。


作品作りに没頭したとしても、

それを男性がいっぱいいる、コミュニティで

発表し、みてもらうとか。


この記事は、

私の他に誰の役にたつかわからないけれど

決意として書いておく。

インナーチャイルドを癒やすにしても、

過去生を知る、にしても

先祖や家系を癒やすにしても

色々とスピリチュアルのワークはあって、

長年お世話になってきたけれど、

今になって、

ただの学びとしての

スピリチュアルはいらないな、と思った。


今の自分の望みは

好きな人とより繋がれるようになること。

自己表現活動をいっぱいしていくこと。

それらがうまくいくことの

障害が、自分では気づかないところで

あるならば取り除きたい、

という理由でスピリチュアルを

使っているが、

自分ならではの、スピリチュアルを使う

目的を持ってないと、

学びが目的になりがちで、


実態のない世界で

頑張りがちになる。

次はこのセッション、

次はこのセラピー、

というふうに

お金も時間も、なんだかわからない

うちに使ってしまう。


だいたい、スピリチュアルセッションは

だいたい高額なのだ。


子育て中のお母さんとか

忙しい人は、きっとスピリチュアルには

はまれないから、


スピリチュアル業界は、

独身者とか、

時間もお金も、まあまあある人の

趣味なんだろうな。


私がそうだった。


その趣味はもういらないな、

という決意で書いておこうと思う。


マッチングアプリというのを

やってみている。

自分の写真載せるのも怖くて、

でもこれは、アイヤーで、できた。

いいね!をお互いに送るとマッチング完了、

というシステムで、マッチングになると、

メッセージのやり取りができるようになる。


まだ会ったりしてはいないけれど、

マッチングアプリは、

実際に中に飛び込んでみないと、

その独特のシステムの使い方や、

自分の異性に対する求めら部分も、

わからなかった。

それがわかったのが新鮮だった。


やってみて思ったのは、

この人にぜひ会いたいと思えたら

会ってみることにする、ということ。


この人いい!と思ったら保留せず、

すぐにいいね!すること。

私はまだ自分からハンティングにでていなくて

自分にいいね!をしてくれた人しか見ていない

けれど、

この人条件的にもいいなー、と

思った人がいて、

まだマッチングアプリもびくびくしながら

やっているので、

すぐにいいね!をせず保留にしていまった。

(マッチングしたら、すぐやり取りが始まって

しまうと思ったので、保留にした)

それで今日いいね!してメッセージしたけれど

返事がこない。

やっぱりこういうのは

判断の速さも大事なのだと学んだ。


以上がマッチングアプリのシステムについて

学んだこと。


自分の男性の好みについて

新鮮な気づきだったのは、

私はジブリより相手の年収が低くても

構わないと思っていたけれど、

やはり自分と同じかそれ以上がいいと

思っていることがわかった。


社会で自分の力を示せているって

いうのは、

男性としての魅力だなと。


ずいぶん長く生きてきたけれど

若いうちからハイスペックな相手をさがす

女性たちの気持ちがやったとわかった。

女たちは、そういう力のある男を手に入れる

ために、自分を美しくしたり、

魅力を磨くのだ。

そう言う見た目の女性らしさを磨くことの

意味が40代になってわかるとは、

色々遅すぎるが、

それがわかっただけでも、

本当に思いきって、

マッチングアプリの世界に飛び込んで

よかった。

自分が普通の女の価値観を持っている

のに気付けたのも、改めて良かった。

あと、

恋人を求める男性がいっぱいいること。

ぽっちゃりを求めている男性が

結構いることがわかった。

女性は太ってくると痩せたがるけど、

痩せなくていいのかも。