なみさんとの時間。

 
 
自分の中に潜ること。
 
 
 
 
 
起きる現実は、
全部、自分の内側が創造している。
 
 
 
自分でも思い出せないほどの
遠い記憶が創り出してることもある。
 
なぜか。
 
その遠い過去の内なる私が今もまだ、
私の中で叫んでいるから。
 
あの時のまま、
叫んでいるから。
 
 
 
 
 
 
 
 
母にこっちを向いてもらえなかった悲しみ。
 
兄に侮辱された悲しみ。
 
兄に対する嫉妬。
 
母に対する憎しみ。
 
どこにも居場所がなかった悲しみ。
 
私を馬鹿にしたように見る、さまざまな男性の目。
 
吐き出す場所のない、
消化しきれないほどの、怒り、憤り。   
 
 
猛烈な怒り。
 
 
今振り返ると、
私の幼い頃の「怒り」のエネルギーは凄まじかったように思う。
 
 
 
泣き叫び、狂うように、
毎晩、怒っていた。
 
 
 
 
なぜ、誰もわかってくれないんだ、
なぜ、そうなんだ、
なぜなんだ
 
 
 
そんな怒りだったように思う。
 
 
とにかくそれは
尋常じゃない物凄いパワーであった。
 
 
その怒りのパワーを
アートや音楽に注げていたら
物凄いものになっていただろうと思う。
 
 
 
 
しかし、私は吐き出す術を知らなかった。
教わらなかった。
 
ただ、家の中で喚くことしかできなかった。
 
 
 
 
 
なぜなんだ!
 
なぜなんだ!
 
 
 
 
と繰り返される
強烈な怒り。
 
 
 
 
そのままの自分でいる事が許されなかった過去。
(許されないと思い込んでいた)
 
 
長い長いその期間。
 
 
自分とは何か、を見失ったまま大人になり、
知らぬ間に、
感情に蓋をすることや、無かったことにする術を身につけた。
 
そして、
感謝しなければならない、
喜ばなければならない
 
という価値観を植え付けられ、
 
自分を愛せないまま、
人に尽くした。
 
 
 
それが善だと学んだからだ。
 
 
 
20代後半、
それは違うことに気がついた。
 
 
自分を愛することを学びはじめた。
 
 
 
 
 
 
 
 
そうすると、
出会う人が変わりはじめた。
 
特に、
今年出会った人たちは、
私の魂の拡大、成長を大いに助けてくれるような
素晴らしい人たちだった。
 
 
 
 
 
 
 
そのうちの一人、なみさんは、
 
私に今一度、
置き去りにしてきた過去の私に会いに行くように、すすめてくれた。
 
まだ見れていないまだ癒されていない
私がいる、と。
 
 
 
その癒されていない私が、
私に気づいて欲しくて、
今現在の私の世界に、
出来事や登場人物を使って現れるのだ。
 
 
 
私が男性を小馬鹿にし、下に見ているのは、
兄に対する怒りや嫉妬が関係しているかもしれない。
 
だから、
現実でも馬鹿にするような男性が現れ、
いつも恋愛は発展しない。
 
優しい顔をしているけど、
本当は心の深い部分で、
馬鹿にし、見下し、どうせ男なんて、
と思っている。
 
だから、
そう思うような現実が創られる。
 
 
 
 
 
そんなことをなみさんに教えていただいた。
 
 
これまでの私は、私を愛せたとしても、
 
条件付きであったことを知った。
 
そうではなく、
 
私が私を"無条件"に愛し、
私を生きることができたなら。
 
つまり、どんな自分も。
 
人を恨む、憎む、哀れむ、見下す、自分も、
 
人に嫉妬する自分も、
 
恥ずかしい自分も、
 
ズルイ自分も、
 
セコイ自分も、
 
自分を責め、罵り、雑に扱う自分も、
 
昨日と言ってることが違う自分も、
 
なにをやっても上手くいかない自分も、
 
いつも大切な人に愛されない自分も、
 
 
そんな、どうしようもない自分も
全てひっくるめて、
 
自分を愛する。
 
 
それが無条件の愛である。
 
 
 
 
 
 
 
あみ