ターナー賞。

1984年からほぼ毎年開催されるイギリス若手芸術家にとっての登竜門。

その受賞作が一堂に会するなかで、英国近代美術について知ろう。


そーんな美術展が六本木は森美術館で開催されています。

すでに観にいった友人いわく「途中でお腹いっぱいになった」らしいけれど笑


最近仕事の関係でお世話になっているbloomberg社のfree Bloomberg Universityで

このターナー賞を観て、一緒に交流会をしましょう的な会があるとのことで

友人と一緒に行こうと思って、ずいぶん前から予約を取って楽しみにしていたのです。


が…


なんという悲しさ…

受付終了8時半。

その時間、仕事が終わらず会社で泣きべそかいていました。


その友達っていうのも、なんというか似た者同士で

ここ数日ビジネスコンテスト@上海に参加していたそうで

今日の夜8時に成田到着だったそうです。


って全然ダメじゃん(。・ε・。)


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日に日にお仕事の量も、裁量も増えていきます。

滅多に落ち込むこともなければ能天気なほど悩まない

悔しいなんて感じたことが生まれてこの方23年、一度も感じたことがない

そんな超がつくほどポジティブな私が

ここ数日、自分の仕事の出来なささに悔し涙を流しております。


ターナー賞を見てリフレシュしたかったけれど

仕事から目をそむけてartに逃げ込まないように。

それだけは肝に銘じて。

「だって父親というものは、それだけで悪なのさ」



とかなんとかいうフレーズが数日前の日経新聞に載っていた。

午後の曳航のレビューだった。


高校時代、国語の先生に薦められて読み始めた三島文学。

その中で一番、彼の暗さがすんなり理解できた作品だ。


少年にとって、海にいる男が永遠であって

彼が陸にあがることは単なる裏切りだったのだ。


三島の考える…美なるもの、美というものは完璧でなければならなかったのだ


なんて

「金閣寺」でまざまざと思い知らされたはずなのに

改めて手に取って読むと、その凄味に圧倒されたのです。


善き父になるべく努力を重ねる義父の姿は

哀しい大人だなぁと思った。

それでも、それを裏切りだと考えることができるのは子供の特権であって

まもなく少年も、大人になる…社会を理解するのだろうと思うと

それはそれで寂しいと思ってしまうの。

週末といえどお休みはありません。

土曜日は会社から外部研修という形で

MBAコースのファイナンスクラスでお勉強です。


そして日曜日は、まぁ完全に趣味ですが

ウズベク語の授業に参加しているのです。


今回初めて本当の先生に会ったのだけれど

やっぱり先生も私が留学していた大学の卒業生で

タシュケントの街や大学の話で盛り上がりました。


授業が終わってからは、ベタベタだけど、浅草へGO!

留学先の大学から現在日本に留学に来ているウズベク人の友達を案内したのです。

久し振りにウズベキスタンに一緒に留学に行った友達に会えて嬉しかったし

みんなでウズベクまで国際電話をかけて向こうにいるウズベク人のみんなと久しぶりに話して。


夜は新宿でちょっぴりbelatedなwelcome party。

私たちはみんな同じ大学だけど、出会ったのはウズベキスタンでだったから

このメンバーでいるとまるでウズベクに帰ってきたみたいねと

みんなで懐かしく思っていたのでした。


不思議なことに、1年いたアメリカよりも

たった2週間しかいなかったウズベキスタンのほうが

思い出がたっぷりあるのです。

(アメリカも大好きだけどね!)

メンバーに恵まれたんだなとしみじみ思う。


ちなみにこれから月一でtem Uzbek会合は開催されますw

次は日暮里のウズベク料理屋さん、ザクロにみんなで行きます~アップ


少しでもウズベク語とロシア語ができるように。

学びたいことがあるということは、それだけで幸せだなと思う。

ましてこの歳になって、まったく背景知識のないものにチャレンジって、やりがいがある。


堂々と隣に並んで立てる人間を目指して。。。

社会人になったらお休みなんてなのだろうな、うちはメーカーじゃないし。

特にまだ一年目だし。


なーんて思っていたのに、まさかの11連休がとれました。

大丈夫かしら、うちの会社w


でも突然すぎる11連休宣言に、今更海外旅行のbookingなんてできるわけもなく・°・(ノД`)・°・

どうにかしてウズベクに行きたかったけれど、もう飛行機はreserve出来ないし、

どちらにしろそんな短期間ではビザの発給も間に合わず。

残念だったけれど、実は彼は修論のリサーチのためにで近隣諸国へ行くとのことで…今回は諦めがつきました。


そんなわけで今年のGWは珍しく実家にずっといるのですが

最近私がカメラを本格的にやっているらしいと小耳に挟んだ母親が、素敵なカメラをくれました。


Olympus 35 SP.

小さくて軽い、女の子が持ち歩くにはうってつけのフィルムカメラです。

これは母親が若いころ親戚のおじさんに買ってもらったとか?

保存状態も悪くなく、カビが少しあったもののレンズは綺麗で

祖父とのゴルフの練習が終わると、カメラをいじっています。


裏ブタを開けて中を少し触ってみて。

そういう風に覗いて、触って、いじって、ちょっとずつカメラと仲良くなれるのじゃないかしらと思うのです。


このコはどんな写真を切り取るのかしら。

手にしっくりと収まるこのOlympusが、これからしばらく相棒になりそうですカメラ

さて、毎日鬼のようにゴルフの練習をしているわけですが

今日だけは祖父がゴルフ=トーナメント出場のため、一日練習なしデーになりました。


この(たぶん唯一の)休みを逃してなるものかっ!とばかりに

両親にお願いしてふらりと旅に出たのでした。


行先は、長いこと訪れていなかった伊勢神宮。

外宮から内宮へ、順に参拝しました。

汗が出るほど暑かったけれども、やはり伊勢の森は凛としていてすがすがしかったです。


初めて伊勢神宮の御朱印を頂きました。

ほんとうにあっさりと、外宮、内宮とだけ書かれた朱の印だけ。

日本中で、その二文字でどこの神社かわかるのはお伊勢さんだけだからだろうと

改めてその伝統を感じました。


間もなく内宮が遷ります。

多くの技術の伝承を担うこの遷宮ですが

以前NHKの爆問学問で、太田さんが興味深いことを言っていたことを思い出しました。


それは佐々木健一氏を迎えての「美学(感性学)」についての放送でした。

「美とはなにか」を追及する西洋哲学の一派・美学において

これまでは「あぁ美しい」と感じるもの、その形に価値が内在したが

「これは爆笑問題の太田さんのものだから、欲しい」と

その「形」ではなく、別の「意味」が付随することで価値が認められるのが現在「美」である、

との教授のコメントに対し


日本文化には、そこでいうところの別の意味、

たとえば伝統だとか権威だとか

そういものを排除することで清廉な空気を保っている側面があるのではないか、と指摘しました。

その代表として挙げられたのが、内宮の遷宮でした。


そんな切り口でものを見るのか!と驚きましたが


もしも

1000年もの間そこにそびえ立ち、苔のむす内宮だったら。

きっと美しく、権威もあり、人々は畏敬の念を持つでしょう。

でも、何千年もの間そこに立っている木枠に対しての称賛も混じるのではないかしら。

遥かかなた過去を生きた宮大工の技術に対する溜息があるかもしれない。


建物だけを見たら築20年の、新しく歴史のない神宮。

それにも関わらず人々はそこに神性を感じて静かに礼をする。

そのとき初めて、畏敬の念の心だけから、人々にその頭を下げさせるのだと思うのです。


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その後奈良まで車を走らせ

女人高野 室生寺まで行きました。

少し時期が遅くて、シャクナゲの全盛は見られなかったものの

少し山の中やお寺の陰にはまだまだ真赤なシャクナゲが咲いていました。


さすがは高野、とんでもなく山の奥にひっそりとたたずんでいて

山寺の静かな雰囲気は穏やかでいいなぁとは思ったものの

これは若いうちじゃないと石階段がキツイ…という感想が

ふくらはぎの激しい筋肉痛から思い出されます。


滅多に来れないだろう室生寺にまで寄れて、御朱印帳も書いてもらって(達筆!)

大満足な旅でした。


本当は父親は長谷寺も行きたかったらしいのですが

それはまた今度…ドキドキ


もともと宗教にとても興味があって

それこそ小学生の時からイスラムの勉強がしたいなんて思っていたのですが


どんな宗教であれ、宗派であれ、はたまた無神論者であっても

畏怖の念というものを忘れなければ、

そしてそういうものに対して自然と頭を下げることができるなら

この世から戦争なんてなくなるのに、と思うのです。

純粋あるということは、残酷であることだ。 キム=ギドク


やばいやばい。

気づいたら、もうあと3週間しかないっ!



映画学専攻で、映画に関係していたらなんでもOKだよー!

っていうゼミに所属しているアタシは

韓国の異端児キム=ギドクにfocusして研究しているのですが


ずっと映画ばかり見ていて、構成も練ってきたけれど

監督本人のデータがぜんぜんなくて、卒論なのに、ただの感想文になりそうでした。


今日、大学の演劇博物館という、舞台芸術系に特化した図書館にいったら

なんとなんと、彼のインタビューなどをとりまとめた本(もちろん韓国語…)と

その日本語版を発見!


やっぱりまだ生きている監督だけあって

研究は進んでいない模様。。。


日本語版は紙面の関係上、大きく削られていたけれど

それでも貴重な資料をようやく発見。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


いちお辞書があればハングルは(本当に一応)読めるから

それでどうにかして、大事そうな部分を拾っていきます。


やっぱり、インタビューだったり、韓国の映画評論家たちの声も

盛り込みたいしね、卒論に。


学部生は①卒論に関係する資料である場合のみ

②教授の推薦状があれば

演劇博物館の資料を貸りることができるので

めんどくさーいって思って、結局日本語版は帰りに本屋で買っていきました。



キムギドクの世界
「キム=ギドクの世界 野生もしくは贖罪の山羊」

なぜこの本が気に入ったかというと、題名がよかったから。

私自身もキム=ギドクの世界を、贖罪ということばで表現しているから。


彼の映画からは、

韓国の未だ続く強い家父長制とその基で圧迫される女性たち

儒教の教え

そして何より、キリスト教の香りがにおい立つ。

おそらくソウルにあれほど教会が建っているという事実、それが韓国を

アジアの中でも特異な国に仕立て上げているのではないか。

漢語圏+キリスト教+儒教国


一気にカフェで読みあげて気づいた。

アタシは、キム=ギドクと似てる部分がある。

韓国留学の経験がある姉に言わせると、ギドクは

「その名を聞くだけでも気持ち悪い」そう。


だけどアタシは、彼から目が離せない。

彼の描く暴力や堕落から、目が離せない。

そこに悲しみを覚えるから。

そして、とても美しいと思うから。


絵的に、はっきり言って気持ち悪いシーンは多い。

常軌を逸している。


それなのに

なぜアタシはそこに悲しみを覚えるのだろう?

なぜ彼の映画に美しさを感じるのだろう?


それはたぶん、キレイゴトなんて何もなく

正直に「人間」について彼が描いているから。


時計じかけのオレンジしかり、マルホランド=ドライブしかり。

人間のエゴとか、排除したいキタナイ思考とか

そういう目をそむけたくなるものと、真摯に向かっているから…だと思う。


あの日、

「絶対の愛」に衝撃を受けた日。

「魚と寝る女」に背筋がぞくっとした日。

「サマリア」に泣くしかなかった日。

「悪い男」で、愛について考えた日。


ヨーロッパでは大成功をおさめながら

アジアではまだまだ受け入れられがたい彼の映画。


社会的な評価だとかハリウッドの興業だとかに振り回されず

単純に、映画を愛し

単純に、いいと思ったものを

声高にいいと言いたい。


少しでも多くの人に観てもらいたくて

少しでも人の心に興味を沸かせる論文を書きたいと思う、今日この頃。

卒論やろうと思っていたのにっ!!


今日はMBFという、去年お世話になったインターンのイベントでした。


このイベントのために、卒論そっちのけで、本を作ってました。

7月から、この日のために編集部の仲間と毎週ミーティングを開いて、ずっと準備して…

ついにこの日を迎えるんだなぁって、昨日の夜はしみじみいてました・°・(ノД`)・°・


ほんとに、今日この日のために

どれだけ時間をかけてきたか分からない。

どれだけ愛情を注いできたか分からない。

どれだけ睡眠不足になったか分からない。


だけど、

この編集部の活動を通してMBFの先輩達から貰ったものは

絶対に、もう2度と手に入らないものだと思う。

時間や労力だけで手に入るなら、なんて安いものなんだろうと私は思う。

お金を積んで手に入るものなんて、たいしたことはない。


同期には、よく頑張ったね、大変だったでしょって言われたけれど

こんな経験、やりたいと思って出来るものじゃない。

久し振りに刺激的で、濃密な時間だったし

就職を控えている「今の」私には、かけがえのない

そして絶対に必要な半年間だったと思う。


編集部をやらせてもらえて、本当に感謝しています。

この御恩は、いつか必ずMに返したいです。


…そんなわけでイベントには同期がたっぷり集合したので

夜中までみんなで忘年会。

飲めない子には、3日連続飲み会はきっついわービール

終電帰りしちゃいました。オールしなかっただけまだいっか。


帰ったら卒論やろうと思っていたけれど、

このままベッドにダイブしようと思います、おやすみなさいぐぅぐぅ