さて、毎日鬼のようにゴルフの練習をしているわけですが
今日だけは祖父がゴルフ=トーナメント出場のため、一日練習なしデーになりました。
この(たぶん唯一の)休みを逃してなるものかっ!とばかりに
両親にお願いしてふらりと旅に出たのでした。
行先は、長いこと訪れていなかった伊勢神宮。
外宮から内宮へ、順に参拝しました。
汗が出るほど暑かったけれども、やはり伊勢の森は凛としていてすがすがしかったです。
初めて伊勢神宮の御朱印を頂きました。
ほんとうにあっさりと、外宮、内宮とだけ書かれた朱の印だけ。
日本中で、その二文字でどこの神社かわかるのはお伊勢さんだけだからだろうと
改めてその伝統を感じました。
間もなく内宮が遷ります。
多くの技術の伝承を担うこの遷宮ですが
以前NHKの爆問学問で、太田さんが興味深いことを言っていたことを思い出しました。
それは佐々木健一氏を迎えての「美学(感性学)」についての放送でした。
「美とはなにか」を追及する西洋哲学の一派・美学において
これまでは「あぁ美しい」と感じるもの、その形に価値が内在したが
「これは爆笑問題の太田さんのものだから、欲しい」と
その「形」ではなく、別の「意味」が付随することで価値が認められるのが現在「美」である、
との教授のコメントに対し
日本文化には、そこでいうところの別の意味、
たとえば伝統だとか権威だとか
そういものを排除することで清廉な空気を保っている側面があるのではないか、と指摘しました。
その代表として挙げられたのが、内宮の遷宮でした。
そんな切り口でものを見るのか!と驚きましたが
もしも
1000年もの間そこにそびえ立ち、苔のむす内宮だったら。
きっと美しく、権威もあり、人々は畏敬の念を持つでしょう。
でも、何千年もの間そこに立っている木枠に対しての称賛も混じるのではないかしら。
遥かかなた過去を生きた宮大工の技術に対する溜息があるかもしれない。
建物だけを見たら築20年の、新しく歴史のない神宮。
それにも関わらず人々はそこに神性を感じて静かに礼をする。
そのとき初めて、畏敬の念の心だけから、人々にその頭を下げさせるのだと思うのです。
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その後奈良まで車を走らせ
女人高野 室生寺まで行きました。
少し時期が遅くて、シャクナゲの全盛は見られなかったものの
少し山の中やお寺の陰にはまだまだ真赤なシャクナゲが咲いていました。
さすがは高野、とんでもなく山の奥にひっそりとたたずんでいて
山寺の静かな雰囲気は穏やかでいいなぁとは思ったものの
これは若いうちじゃないと石階段がキツイ…という感想が
ふくらはぎの激しい筋肉痛から思い出されます。
滅多に来れないだろう室生寺にまで寄れて、御朱印帳も書いてもらって(達筆!)
大満足な旅でした。
本当は父親は長谷寺も行きたかったらしいのですが
それはまた今度…
もともと宗教にとても興味があって
それこそ小学生の時からイスラムの勉強がしたいなんて思っていたのですが
どんな宗教であれ、宗派であれ、はたまた無神論者であっても
畏怖の念というものを忘れなければ、
そしてそういうものに対して自然と頭を下げることができるなら
この世から戦争なんてなくなるのに、と思うのです。