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摂政の宮暗殺未遂
生き地獄のような社会背景が犯行を促した

少し前まで、学生運動を経験した人達を主として、皇族嫌いの人は多かった。天皇を頂点とする皇族は、労働もしないで、何を以って極上の生活を保障されているのか?差別の根元の貴種など不要という怒りだったように思う。

ロシアで興った共産思想が、大正時代に日本に入ってきたが、その革命をわかり易くする為、絶対権力を持ったロシア皇帝を封建大名や天皇になぞらえ、虐げられたロシアの農奴を日本の農民に例をとって説明している。

戦前の帝国憲法下でも、天皇に国家を動かす権力は無く、天皇を輔弼する軍部の、特に参謀本部が組織の都合だけで独走し、天皇の名で命令していたと言うことは、現在では常識だ。

天皇の側近くに仕える者が、大きな権力を行使するには、天皇の権威を高める必要があり、教育勅語を奉読し間違えただけで自殺を遂げた小学校校長があったほど、天皇の権威を異常に拡大させていた。また貧しい生活の者は、社会に不満を持つのは当然で、社会主義・アナーキズムに走るのもあり得る事である。

病弱な大正天皇に代わって、皇太子裕仁親王が摂政となっていたが、第一次世界大戦後の不況の時代で、都会の労働者が郷里に帰るにも、交通費が無く歩いて帰ったとされ、その上関東大震災に見舞われ、警察権力はこれを機に不満分子を抹殺しようとした。こうした生き地獄ねような時代に『虎ノ門事件』は起こっている。

犯人の難波大助に、大した考えがあったように思えず、政治家が社会を明るくさせる為の政治をしなかった事が問題なのであろう!

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