今回は私のことではなく、とあるブログを読んで思ったことなのですが、





女優の遠野なぎこさんのブログについてです。



知らない人もいるかもしれませんが、彼女が母親に愛されなかった、という話ほ有名です

よくテレビでも言っています。



彼女の母親が、去年の秋に焼身自殺未遂をしたという記事が週刊誌に出て、彼女自身は母親とは何年も音信不通で絶縁状態なので、マネージャーに調べてもらったところ、自殺未遂などではなく、ガスコンロでヤケドしただけとのこと。





まあそれはどうでも良いのですが、




ファンの人や周りの人などで、

『これを機に母親と再会して関係を再構築したら?』


ということを言う人がいるらしく、


私も過去に母親と確執があったので、(今は仲良いけど)

会いたくないなら会う必要はないし、会うか会わないかは本人のタイミングによると思うし、
本人が会っても良いと思えるようになったら会えば良いと思うのだけど、


それに対しての遠野なぎこさんの反応に違和感?というか、

矛盾を感じました。



遠野なぎこさんのブログより引用↓




【今は母に会いに行く、関係を修復する気持ちは一切ありません。

もう恨んでも憎んでもいないから…要するに、会う必要性を全く感じないんです。

『お母さんの為にも、親孝行のつもりで』…こういうご意見も戴きます。

仰ってること自体は分かります、でも親孝行ってそういうものじゃないのでは?と思います。

自分の感情を押し殺してまでするのは、孝行でも何でもなく自分への言い訳や一周回って“逃げ”になっている気がします。

『孝行したい時に親は無し』…うん、そうなんだろうね。

後悔した時に親が既にこの世に居なくなってしまっていたとしても、それはその道を選んだ自分の責任として受け止めるだけ。

冷たく聞こえるかもしれないけど、私は必死に…それこそ死ぬ思いで今まで精一杯闘って生きて来たんだ。

今までの事はもういい。

でも、これからの人生までを母に振り回される事だけは本当に勘弁して欲しい。

私は私の幸せを、私は私の人生を歩きたいの。

『母と娘は仲良しこよしでいるべし!』なんて法律が出来るまで、私は自分の意思を貫いて母親との距離を保つつもりです。

それが、お互いの為になる母娘も居るんです世の中には…。

ですから、今回の記事を読んで動揺しなかったと言ったら嘘になるけど…母に対する心は全く変わりませんし、自分を責めるつもりもありません。】



以上、引用終わり。



どこに矛盾を感じるかというと、


”もう恨んでも憎んでもいない”


と言っているのに、その後に、


”感情を押し殺してまでするのは”


と言っているところ。


あれ?恨んでも憎んでもいないんじゃないの?
なんとも思ってないんじゃないの?


なのに、感情を押し殺してまでするのはと言っている時点で、なんらかの感情(恨み、憎しみ、わだかまり、)あると言っているようなもの


なぜそれを認めようとしないのか


私は、もう恨んだり憎んだりしていないのではなく、


恨みや憎しみの感情を、まさに”押し殺し”て、

心の奥に追いやって、蓋をしただけなんだなぁと思った。


だから結局、癒されていなくて、恨みや憎しみの感情が消えたわけではない。


だから、本人は、
「もう恨みや憎しみの感情はないから、会う必要性を感じない」と言っているけれど、


会う必要性があるかどうかは別もして、


恨みや憎しみの感情がまだあることは認めた方が良いと思った。


他人じゃなくて自分自身に。


人って、自分自身に嘘をついているうちは癒されない


自分で自分自身と向き合って、
感情を認めて、
その感情を取り扱って、

本当の意味で癒される必要がある。


色々番組の企画?的なもので、スピリチュアルみたいな人が出てきて、遠野さんが癒されるみたいな番組もやってたけど、

あれはあくまで番組のパフォーマンス的なもので、
本当には癒されてはいないと思う。


その証拠に、彼女は今だに精神疾患を患っていて、
摂食障害も治っていない。



本当の意味で癒されるには、本当はイエス様の癒しが必要なんだけどね。


私はイエス様によって、本当に周りも驚くほど完全に癒されたので。


私も昔は精神疾患を患っていて、ODやリスカを繰り返していたから


だから気持ちはわかるんだ


だから心配にもなるし、


私みたいに癒されて欲しいなぁって思うのに


今は、彼女は自分をごまかしているようにしか見えないんだ。


彼女が本当に心から癒される日が来ますように。