フラメンコを踊っていた頃、
私は毎日「この曲をどう感じるか」「どう表現するか」
その一点に集中して生きていました。

 

音を聴き、身体で受け取り、
言葉になる前の感覚をそのまま動きにする。
今思えば、あの頃の私はとても感覚が鋭かったと思います。

 

実際、不思議な体験もありました。
テレビが突然ザーーーっと乱れたり、
ドライヤーがいきなり壊れたり。
なぜか電化製品が一斉にダメになる時期があって、
「あ、本当にこんなことってあるんだな」と思ったのを覚えています。

 

フラメンコをやめ、社労士として働くようになった今。
日々、知識を積み重ね、
その知識をもとに判断し、
時には「これは良い」「これはダメ」と
ジャッジしなければならない場面が増えました。

気づけば私は、
「感じる」ことが分からなくなっていました。

 

自分が何に喜び、
何に悲しくなり、
今、何を感じているのか。

必死になればなるほど、
正しくあろうとすればするほど、
感覚は鈍っていく。

 

右脳と左脳の話があります。
本来、私たちは右脳が優先される生き物

 

例えば梅干し。
実際に食べていなくても、
写真を見ただけで唾液がじわっと出る。
それは理屈(左脳)ではなく、
感覚(右脳)が先に反応しているから。

ということは——


感覚を大切にしないまま生きていると、
自分が本当に望んでいない感覚の未来を、
知らず知らず引き寄せてしまう。

そう気づいてから、
私は「どう思われるか」よりも
「自分がどう感じているか」を
何より大切にするようになりました。

 

感覚は、
自分が自分に戻るための
いちばん正直な道しるべだから。

 

本当は、今どんな感覚で生きたいですか?