◆今日の御言葉◆
しかし、私のたましいよ、
気落ちするな。動転するな。
神に期待せよ。
神がすばらしいことをしてくださり、
私はきっと賛嘆の声を上げるのだから。
このお方こそ、私の命綱、私の神。
(詩篇 42:11)

Why are you in despair, my soul?
And why are you restless within me?
Wait for God, for I will again praise Him
For the help of His presence, my God.
(Psalm 42:12)

■所感と祈り
わがたましいよ。
なぜ、おまえはうなだれているのか。
なぜ、私の前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。
私の顔の救い、私の神を。(新改訳)
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。(新共同訳)

「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。」(詩篇42:9)を読んだ時、イエス様が十字架の上で叫ばれた言葉を連想しました。
イエス様は十字架の上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)と大声で叫ばれました。これは詩篇22:1のみことばを引用なさったものでした。

「わが神、わが神、
どうして、私をお見捨てになったのですか。」(詩篇22:1)

私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言う間。(詩篇42:3)

この言葉から、次の箇所を連想しました。
「もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」(マタイの福音書27:40)

イエス様の受難は、私たちの救いと癒やしのために、はるか昔から預言され、それが成就したものでした。
イエス様は、私たちの罪を背負い、父なる神様からの断絶を味わわなければなりませんでした。そのときの苦しみこそ、イエス様にとっての最大の苦しみだったのではないかと思います。
その苦しみを通り抜け、主は復活なさいました。
その勝利により、私たちの罪の贖いが完成が示されています。

このように詩篇42から、受難を通られたときのイエス様の苦しみを連想しました。

主よ。私たちのために救いの道を備えてくださったことを感謝します。
どれほど大きな犠牲であったのかに思いを馳せました。
私たちのためになされた御業を思い、心からの感謝をささげます。
主の御名によりてアーメン。

「イエスの血潮」
https://youtu.be/LEfCBSirQl4?si=wt8hp-wzC62ZDI8c



http://ameblo.jp/amfamily/
日本語聖句:リビングバイブル(いのちのことば社発行)から引用
Scripture quotations taken from http://www.lockman.org/