◆今日の御言葉◆
そのつど返ってくる答えは、こうでした。「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」だから今では、私は自分の弱さを喜んで誇ります。自分の力や才能を見せびらかすためではなく、喜んでキリストの証人になりたいからです。
(コリント人への手紙Ⅱ 12:9)

And He has said to me, “My grace is sufficient for you, for power is perfected in weakness.” Most gladly, therefore, I will rather boast about my weaknesses, so that the power of Christ may dwell in me.
(2 Corinthians 12:9)

■所感と祈り
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(新改訳)
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(新共同訳)

私たちは、それぞれに弱さや、肉体的または精神的な不具合を生まれつき持っていたり、後天的に与えられたりします。
パウロもまた肉体的な問題点を持っており、それを去らせてくださいと祈らざるを得ないほどに苦しみがあったようです。
しかし、その祈りのあとに、今日のみことばが与えられたのでした。
パウロは自分のその問題を受容することに決めました。
主の力が、自分の弱さのうちに完全に現れるということが主によって示されたからです。
主の恵みが私たちに注がれています。
その恵みは、私たちの抱えている問題の穴を埋めて余りあるほどに十分であることを私たちは信仰によって教えられるのです。
パウロは次のように結論づけています。
「私が弱いときにこそ、私は強い」(コリント人への手紙Ⅱ 12:10)
主が私たちの弱さをとおして私たちのうちに御力を現してくださいます。
大きな試練を信仰によって耐え抜いている人の言葉には、真実の重みがあります。
その苦しみを信仰によってくぐり抜けているその経験を通してでなければ語れないことばがあるのだと思います。
パウロが語るその言葉には大きな影響力がありますが、そこに神様の栄光が現されているのではないでしょうか。

主よ。試練を耐え抜く信仰者の生き様をとおして、主が栄光を現してくださることを感謝します。
どうしてそのような困難の中にあって、耐えることができるのでしょうと思うことがありますが、主がその人を支えておられるのを私たちは見ることができます。
主が私たちの弱さのうちに御力を注ぎ、支え続けてくださることを感謝します。
主の御名によりてアーメン。

「天の喜び」
https://youtu.be/juwnyBgXmrI?si=otXdfeaHsIY2Dgcw


http://ameblo.jp/amfamily/
日本語聖句:リビングバイブル(いのちのことば社発行)から引用
Scripture quotations taken fr
http://www.lockman.org/